昨日は、グリム童話の8番「へんな旅芸人」を語りました。
主人公は、旅芸人です。森の中で音楽を奏でます。バイオリンでです。
すると、バイオリンの音色に誘はれて、次々と動物たちが現れます。
しかし、その旅芸人(音楽を生きる人)が、音楽を奏でることで、なんと、森の中の動物たちを次々とやりこめ(統御し)、旅を続けます。
最後に、旅芸人は、森の中で、「人(狩人)」に出会ひます。旅芸人は、動物ではなく、「人」の前で音楽を奏でることができることをことのほか喜び、狩人もその音色に惚れ惚れとします。
そこへ、やりこめられた動物たちが、旅芸人を追ひかけ、つひには襲い掛かつて来ます。
しかし、「人(狩人)」は斧(つるぎ、でもいいでせう)を振り上げ、けものたちを退散させ、旅芸人を守ります。
さうして、旅芸人は、音楽の旅を続けて行くのです。
音楽とは、何でせう。
音楽は、人を精神と繋ぎ、神々しいものと出会はせることができます。
かつ、まことの音楽は、人の内なる動物性を駆り立てるものではなく、統御するものであります。
このお話は、昔より、そんな精神から語られてきました。
そして、語り手によつて、ことばのひとつひとつが、動きとかたちをもつて、語られます。
それは、ことばそのものが、動きの精神を孕み、かたちの精神を秘めてゐるからです。
語り手は、その動きとかたちを顕はにするべく、声にするのです。
語り手の(〈わたし〉による)目覚めて統御された意識。
(アストラルのからだによる)鮮やかな身振りと表情。
(エーテルのからだによる)呼吸の長短。
(フィジカルなからだによる)表現のまるごと、表現のすみずみに動きがあること。
さうして、ことばの精神と物語の精神は、実際に子どもの前で語る数多くの回数の中で実感されてきます。
むかしむかしのおほむかし、そもそも、ことばは、人の意欲への呼びかけでした。
現代のやうに、抽象的な思考をみすぼらしく表現するものではありませんでした。
人は、ことばを聴くたびに、からだがうづうづしたのです。
さらに、それに応ずる動きをしてしまふことが身についてゐたのです。
ことばは、発声器官だけでなく、人の運動器官まるごとのなかに息づいてゐました。
いま、人は、このことを忘れてしまつてゐます。
しかし、幼な子たちは、まだ、このむかしのことばの性質のなんたるかを知つてゐて、それを欲してゐます。
「はじめにことばありき」といふ時の「ことば」のなんたるかを知つてゐます。
「ことば」とは、世を創り、動かし、人を創り、動かすものでした。
そして、いまも、その「ことば」の働きの精神は、少なくとも幼な子には失はれてをりません。
幼な子たちは、お話を聴きながら、ことばとともに走りたがつてゐます。空を飛びたがつてゐます。海に、川に潜りたがつてゐます。
幼な子たちが欲してゐる、そんなことばを与へて行くこと。
それが、幼児教育のひとつの指針です。
そんなことばで育つことができたなら、その子は、後年、大人になつてから、生き生きとしたいのち溢れることばをものにする人生を歩いて行くことができるのです。
そして、ひとりひとりの人のことばが、世を創り、世を切り開き、世に仕合はせをもたらしてゆくのです。
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