詩心とは何だらう。
それは、目には見えず、耳には聞こえないものを、ことばにしようとこころざし、切望するこころだ。
だから、詩心は、この世の物質的なくびきからこころとことばを解き放ち、ことばの響きが産み出す間(ま)と余韻に、ものを言はせようとする。
そこには、言霊といはれてゐる精神の働きが湛えられ、それに耳を澄ませる者をこの地にゐながら天上へと運ぶ。
そこには、ことばの音韻が描く精神のフォルムと動きがあり、そのフォルムと動きに沿はうとするわたしたちを精神の自由へといざなふ。
アントロポゾフィーは、古代人がおのづから持つてゐた、そのやうなフォルムと動きに沿ふ力を失つてしまつた現代人が、意識的に、改めて、その力を取り戻し、そこに遊び、さうして自由を勝ち取るための道を示してくれてゐる。
その道が、言語造形といふ芸術実践だ。
言語造形を通して、詩心を豊かに育み始めることができる。
目に見えず、耳には聞こえない精神のかたちと動きと響きを感覚し、表現していく道を歩むのだ。
世の詩人たちが聴き取つてゐる調べを、言語造形をする者が身をもつて奏でることで、詩人の求めた精神をより大きくより深く響かせる可能性を啓く。
そして、我が国は、言霊の幸ふ国であつた。
日本の古典文学は、本当に豊富に、また無限に深く、その道を拓いてくれてゐる。
とりわけ、天地(あめつち)の初発(はじめ)から語り始め、この国のとこしへに榮へ続ける原理を語る、古事記(ふることぶみ)。
そこで語られることば遣ひは、神々の手ぶりを顕はすものであり、それがそのまま、いにしへの人々の手ぶり、ことば遣ひとして記録されてゐる。
その神々の手ぶり、いにしへの人々のことば遣ひから聴き取られる、このくにの悲願。
その悲願を全身全霊で受け取つた人々によつて詠はれた抒情詩、ことばの芸術が、萬葉集(よろづのよのふみ)である。
その調べを奏でることができるのは、言語造形しかない。
わたしは、しかと、そのことを思ひ定めてゐる。
だから、言語造形をもつて、ともに、古事記と萬葉集をはじめとする日本古典文学を奏でる人を求めてゐる。
それは、この国とわたしたちひとりひとりを精神において甦らせ始めるための、根底の礎を築きゆく仕事である。
地味ではあるが、大いなる仕事である。
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