もうすぐ8月も終はるが、この一か月、大阪から、京都、和歌山、新横浜、東京、仙台、そして青森の弘前へと渡りゆき、さらにはオンラインでの機会も併せて、言語造形を重ねて来た。
わたしには、大なる願ひがある。
それは、神ながらに脈々といまだに脈打ち続けてゐる言霊(ことだま)の風雅(みやび)を、言語造形によつて、多くも多くの人々のこころに甦らせること。
そして、その風雅(みやび)が我が国の精神そのものである皇神(すめがみ)の道義(みち)であり続けて来たことを体感すること。
皇神(すめがみ)の道義(みち)は、言霊(ことだま)の風雅(みやび)に顕れる。
さう喝破したのは、『萬葉集古義』を著した江戸時代末期の土佐の国学者、鹿持雅澄(かもちまさずみ)である。
この一か月の間でも、言語造形を通して、萬葉集、古今和歌集、新古今和歌集、百人一首、芭蕉、草野心平と、詩の歴史を下り降りて来た。
抒情詩によつて盛んに情がみなぎり、我々はまごころといふもののまことの響きと調べに、耳を澄まし、身を預ける。
そのまごころは、日本人が古来、大切に守らうとして来た、人としての理想、悲願、永遠である。
まごころを響かせる詩、和歌、俳諧は、その響きに耳を澄ます人に、己が身を超える神なるものへの信頼を育むひとつの機縁となり、唯物主義が極まつてゐるこの現世の桎梏から自由になりうるといふ希みを與へるものなのだ。
代々の志ある詩人は、皆、その願ひを抱いて死んで行つた。
ことばの感官を研ぎ澄まし、その感官に語りかけて来る神なるものとしての音韻の導きに沿ふ人、それが詩人であつた。
言語造形は、その詩人の行為を引き続き、なしゆく営みであり、それは、ある意味、詩を演奏することであり、ことばの甦りをもたらす一(いつ)なる芸術である。
日本の伝統の精神文化の土壌に、言語造形といふ芸術が根づき、打ち樹てられること。
それは、間違ひなく、この国を精神的に甦らせ、人々を弥栄に栄へゆかせる、原動力のひとつとなる。
なぜなら、言語造形が甦らせるのは、この国のいのち、ことばの精神、言霊だからである。
それこそが、我が非才を顧みず願ふ、大なるものである。
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