


猛暑極まる夏の京都。しかし、ここは、標高650メートル近くあるとても爽やかな光と涼しい風に恵まれてゐる山あひの一村。南丹市園部町に住まはれてゐる齋藤さんご夫妻のご自宅を訪ね、田に入らせていただき、お米づくりの一端に触れさせてもらふ。
苗の植ゑ付けを遅らせられたとのことで、水はまだ抜かれてをらず、今月初めに植ゑられ終はつた苗たちの根が水の下の柔らかい土に根を伸ばし始めてゐるところ。
水の漲つてゐる田に這ひつくばつて、稲の苗と苗の間の水中に生え伸びてゐる草を引き抜く。二時間ほどだけだが、水田の泥の中に膝まづきながら、匍匐前進していく。それは、稲といふ植物との親しい、密やかな対話をさせてもらつてゐるやうな時間だつた。
稲に対する愛、米に対する敬意がおのづから自分自身の内側に根付いて来る。
そして、そのこころに育つものこそが、暮らしを、生を、人生を織りなして行く予感。それは、社会といふ人と人とのかかはりあひを作る目に見えない基盤なのではないだらうか。
米といふ天与の糧を植ゑて育てて刈り取りいただくといふ「米づくり」こそが、わたしたちの「くにづくり」の基なのだと神話は語つてゐるが、そのリアリティーのほんの一端だけれども触れさせてもらつた。
齋藤 健司さん、豊泉 未来子さん、二日間にわたつてお世話になりました。こころからお礼を申し上げます。本当にありがたうございました。
おふたりとの静かな語らひの時間。語り合ふといふことがメディテーションそのものであるといふこと。そして、からだとこころにひたすら滋養と回復を与へる、こころづくしのお料理。
ありがたい、ありがたい、時間をいただきました。

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