2023年07月09日
プロレタリア?
ルードルフ・シュタイナーの「社会の生きた織りなしの三分節」の研究に取り組んでゐて、まづ思ふのは、ここに述べられてゐる「プロレタリア(労働者)」とは、一階級の人たちのことを言ふことばじやなく、100年後のいまでは、現代人の多くも多くの人を指すことばじやないかと思ふのです。
プロレタリアは、四つの観念に縛られてゐるといひます。
一つ目は、「経済がすべてだ。自分たち労働者の暮らしをよくするためには、経済システムを改善すること。これに尽きる」といふ経済至上主義の観念。
二つ目は、「労働者である我々は一部の資本家たちに我々の富を搾取されてゐる」といふ階級差別の観念。
三つめは、「我々の労働にはすべて価格がつけられてゐる。我々の労働自体が商品のひとつにすぎないのだ」といふ自己疎外の観念。
そして、四つ目は最も奥深い観念だと思はれるのですが、「我々の人生にとつて、経済生活だけがリアルなものなのであり、精神や理想なんてものは単なるイデオロギー(死んだ概念)にすぎない」といふ唯物主義的な観念。
かうして、四つ目が、また、一つ目に帰つてゆき、ぐるぐるとこの四つの観念を巡り廻つてゐるのが、プロレタリアの心理状態であるといふことなのです。
これつて、現代のわたしたちの大部分の者の意識状態に似てゐませんか。
その結果、わたしたちひとりひとりは、自分自身への不信感、矮小感、無力感に苦しんではゐないでせうか。
200年前にこの世に生を享けたカール・マルクス。その思想が、ソ連邦の崩壊で政治的には崩壊したやうに見えましたが、かえつて、思想的、文化的に、深く、執拗に、わたしたちの内部に入り込んで、わたしたちの意識を眠りへといざなっているやうに思へてなりません。
このことは、国際的な問題として、また、歴史的な問題として、想像以上に、複雑で困難な問題であり、特に2020年からは、グローバリズム(全体主義)の明確な台頭として現象面で顕はになつて来てゐます。
しかし、すべては、ひとりひとりの意識の目覚めからしか、始まらないのだと思ひます。
この四つの観念をひとつひとつよく吟味して、それぞれの観念から、わたしたちは、どうしたら、目覚め、自由になりうるのか、勉強していきたいと思つてゐます。
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