昨日は、東京にて言語造形をいたしました。
夏の陽射しでしたが、幾分爽やかな風が吹いていて、とても過ごしやすい朝からの芸術実践の時間。
午前の時間は、教育関係の方々ですが、コロナウイルス騒ぎのため、三年ぶりにお会ひして、語り合ひつつの久々の芸術実践の時間。言語造形を通して、からだまるごとで、腹の底からことばを声にすることを一気に想ひ起こす時間になりました。本当に嬉しくありがたい時間です。
そして、午後には、冠木 友紀子さんが主宰されている通訳藝術道場の特別クラスとして、初めての方々と言語造形をいたしました。
英語と日本語の間を取り持つ通訳者の方々と、こうして日本語と英語の言語造形に取り組むといふことは、本当に小さくない意味と意義をもつと、わたしは思つてゐます。
ことばといふものを、意味の側面で捉へることに尽きずに、その響きが持つてゐるリズムや抑揚、強弱といふ音楽性、そして音韻ひとつひとつが持つ彫塑性を引き上げることで、情報伝達のための単なる道具としてではなく、芸術として扱ふのです。
わたしは思ひます。
通訳者の方がそのやうな見識と感官をもつて場に臨むことによつて、異なる民族の文化と文化がより深い層において交流し合ふ場になることへと繋がりはしないでせうか。
それは通訳するといふひとりの人の行為が、各々の民族が背負ってゐる歴史性と歴史性とを結ぶ、限りない可能性に満ちたものになることへと繋がりゆきはしないでせうか。
昨日は、午前も午後も、どちらも、松尾芭蕉の俳諧作品を採り上げて、一音一音の響きに意を注ぎつつ、十七音からなることばの芸術作品を音楽的に、彫塑的に、仕上げてゆく過程に一歩だけ踏み込んでみました。
日々の暮らしにあくせくしてゐるわたしたちが、たつた十七音の世界に全身全霊で取り組むことによつて、深淵さに満ちた、どこか永遠を感じさせる精神の時間へと入り込んでゆくのでした。
最近は、コスパ(コストパフォーマンス)ではもはやなく、タイパ(タイムパフォーマンス)といふものが特に若者の間では重視されてゐて、いかに切り詰めた短い時間の中で高い満足感を得られるかといふ性向に傾いてゐるやうですね。
you tube の動画でも1分ほどで作られる「ショート動画」や映画などを1.5倍速や2倍速で観ることによつて、その「タイパ」を高めるといひます。
そのやうな流行といひ、時代の趨勢といふものは、えてして若者から始まるものですね。
さういうことを仕掛てゐる者が誰かは別のこととして、若者からさういふ流れが生まれることはいつの世においてもあることだと思ひます。
しかし、芸術といふものがあるお陰で、わたしたちは、そのやうな性向から自由になり、たつぷりと時間をかけて、しかもその時間の中にできる限り多くを詰め込まうとせず、ゆつくりと、たつぷりと、静かさの中に入つてゆく、そんなあり方を生きることができます。
そして、さういふ時間を生きることによつてこそ、人は人であることの意味を実感できる。
「タイパ」などといふことばが遠く彼方へ消え去つて行きます。
人は、情報を貪るブタではない、といふ言い方はきつすぎる感情的なことばだと思ふのですが、さういひたくなる自分がゐます。
しかし、さう信じる大人がゐることが、若者や子どもたちを何かの家畜にすることから守ります。
繊細で意識の目覚めた人は若者の中にも勿論ゐますが、多くの人が主体性を失くし、右顧左眄するだけで精一杯の輩になるのは、世の常ですね。
言語造形といふことばの芸術は、さういふ時代の流れにストップをかけて、じつと立ち止まるひとときを持つことへと人を導きます。
若者は大人に唯々諾々と従ふべからざること。そして、年寄りは若者に媚びざること。
わたしたちは、大人になりたいと思ひます。
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