2023年06月18日

前田英樹氏『保田與重郎の文学』読書ノートA「第一章 注釈の姿を取った文学」



●昭和の文芸批評家として生きた保田與重郎は、ずいぶん多作な人だったが。彼の多作ぶりには、重複を少しも厭わない肝の太さ、自作を振り返りもせず、力尽き、斃れるまで進んでいく志士(もののふ)の剛毅があった。(23頁)


●(最後の著作『わが萬葉集』において)幾つかの歌、特に大伴家持の作をめぐっては、何度引き、いくら釈いても決して表し切れない称賛、愛着、親しみを、じっと抑えているように見える。そこに、僅かばかりの繰り返しが、やむなく現れてしまう。そんな趣である。(23頁)


●繰り返しは、不注意から来るのではない、彼が心中で耐えてきたものの避け難い ― それが故に美しい ー綻びのように現れて来る。その綻びの姿に接することができるのは、私には、むしろ有り難いのである。(24頁)



保田與重郎の著作を読み続けてゐると、彼のその猛然とした筆の進み方に、唖然とするのである。どうして、これほどまでに、筆が止まらないのか。


彼は、思ひに思ひを重ねつつも、いつたん筆を執つたなら、こころの中から蚕が糸を吐くやうにするするとことばを紡ぎ始め、その営みは糸を吐き終はるまでは到底止むことはない、そんな趣きではなかつたかと感じるのである。


保田の文章を綴る際の、その原動力は、まさに、ここで前田氏が述べてゐる、「いくら釈いても決して表し切れない称賛、愛着、親しみ」といふ溢れんばかりの情だつた。そのことを、即座に感じる。


そして、後代のわたしたちは、この情の奔逸とその抑制を味はふことを、文学の喜び、読書の喜び、生きることの喜びとするのである。


だから、わたしはまづは問ふてしまふのだ。現代のわたしたちは、いや、このわたしは、このやうな溢れんばかりの情を湛へて生きてゐるだらうか、と。この情の過剰と言つてもいい、生の昂ぶりを持つてゐるだらうか。


さう問ふたときに、その情のみづみづしい昂ぶりこそをわたしは希(こひもと)めてゐると、わたしは応へてゐる。


そして、そのこころのありやうを、ことばに鋳直すことへの憧れに憑かれてゐる、と。


ことばに鋳直すといふ行為は、まさに、こころをかたどることであり、それは不定形なものにかたちを与へること、抑制を加へ、言語表現における一回きりのすがたを得ようとすることである。


そのやうな、奔逸と抑制といふ相反する精神の力の均衡を培ふことへの憧れが、古来、人にはあり続けてゐる。なぜなら、その均衡と、僅かばかりの綻びが、美しいすがたを生み出すからである。


保田與重郎の文章は、その精神の美しさを味ははせてくれるのだ。





posted by koji at 16:56 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 読書ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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