小学校へ入る前の六年余りの間の子どもたちにとって大切なことは、まさしく個と個という関係の中で、子どもと母親、子どもと父親との関係の中で、すべてが完結している。自分自身の親としての経験からそう実感します。
そして、そこには、個と個の関係の中でもっとも基のものと言える夫と妻の関係が、良かれ悪しかれ、とても色濃く子どもたちに影響するように感じます。
もちろん、どちらか一方の親しかいない家庭においても、大人と大人との関係性、子どもに目を注いでくれる誰か他の大人と、子どもの親との関係性が、とても重要になってくるといふことでもあります。
幼稚園にも、共にそこに通ふ園児たちや親御さんたちもゐるわけですが、それでも、そこは先生を親とするもうひとつのより広やかな家庭です。
そこでは、基本的・本来的に、親の役割をしてくれてゐる先生と子どもの、一対一の関係が子どもにとつて大切なものでした。
いまの多くの施設では、そのやうな一対一の、ひとりの子どもにしつかりと目を注ぐことのできるひとりの大人がゐるやうなところは、本当に少なくなつてゐるのかもしれません。
そんな状況において、第一・七年期にある子どもに必要な個と個の関係性を、どのやうにしてひとりひとりの子どもに質的に補つていくことができるか。そのことがとても大事なテーマでもありますね。
さて、子どもは歯が生え変わりだし、小学校へと上がつてゆきますが、第ニ・七年期に入つていく子どもの成長にとって本質的なことは、それまでの個と個の関係性を育むといふことから、だんだんと、個とそのほか大勢の大人たちや子どもたちとの関係を、いかに創つていくかといふことへと移り行きます。
地域の中には、様々な職種につき、様々な価値観で生きてゐる人々がゐます。それまでほとんど親にしか意識が向かつてゐなかつた子どもが、そのやうな人といふ人の彩りの豊かさにどんどん目が奪われていくことでせう。
かつ、クラスといふ集団の中においても、いろんな子どもがゐます。
幼児期においては、子どもの中に生まれ出る意欲や意志は、まるごとむきだしの意欲や意志で、ある意味、原始的なものでした。
しかし、第二・七年期の子どもにおいては、だんだんと、その意欲が感情という衣を着つつ現れてきます。
そして、そのクラスの中で、様々な色の違ふ感情の衣を着た子どもたちに出会ふのです。
その彩りの豊かさの中で子どもは実に多くのことを学びます。
人は、みんな、違うといふこと。
みんな、それぞれ、色合ひが違ひ、向きが違ひ、もつて生まれてゐるものが違ふ。
その違ひが、感情の表れの違ひとして際立つてきます。
ひとりひとりの違ひを尊重する、そして、そこから、ひとりひとりの尊厳を見る、そんなこころの姿勢が教師によつてなされるのなら、どれほど大切なものが子どもたちの内側に流れ込んでいくでせう。
さういふ大人の下で、子どもは、自分という個にゆつくりと目覚め始め、そして、クラスメートや先生、地域の様々な人々の中にある個といふ個に、だんだんと目覚め、その彩りの豊かさに目覚めていきます。
社会といふ集まりの中で、自分といふ個と、大勢の他者との関係を、だんだんと見いだしていく、一対多の関係の本来的な豊かさを、第二・七年期の子どもたちは学んでいくことができます。
もし、そこで、「よい点数を取ることが、よい人になる道です」もしくは、「よい点数を取ることで、あなたは他の人に抜きん出ることができますよ」といふ、ひといろの価値観がまかり通るのなら、子どもの内側から生まれでようとする、その子固有の意欲や意志が削ぎ落とされ、感情が傷つけられ、萎えていくことにもつながりかねません。
小学校において、はや、灰色ひといろの服をみんなで着ているやうなものです。
できるだけ、子どもたちの周り、そして内側を、カラフルにしておいてあげたいですね。
そのためには、わたしたち大人が、各々、カラフルであること、自分自身のあり方を際立たせること、「わたしはわたし」といふところをしつかりと持つて、子どもたちのそばで毎日を生きることが大切なことだと実感します。
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