人における「子ども時代」。
それはこの世に生まれたときから、7年周期を3回経て、およそ21歳になるまで続きます。
しかし、実のところ、その「子ども時代」は、その人の一生涯を通じて内側にあり続ける。
よく、シュタイナー教育に初めて接した人の多くから、こんなことばを聞きます。
「わたしも、子どもの頃にこんな教育を受けたかった」
でも、大人になっても、遅くはない。
なぜならば、人の内側には、いまだにその人の「子ども時代」が息を潜めているからなのです。
「子ども時代」が息を潜めて、いまだにその人の中にあるからこそ、シュタイナー教育などに接したときに、そのようなことばが思わず呟かれるのかもしれません。
「子ども時代」を強く保ち続けている人などは、どれだけ年を重ねても、若さを持ちつづけている。
子どもの気持ちにいつでも帰ることができる。
自分の中の子どもに語りかけるように、何かを創ったり、語ったり、書いたりすることができる。
その創られ、語られ、書かれたものが、また、子ども(子どものこころを持つ人)に愛される。
幾つになっても、わたしの中の「子ども」に働きかけることができるとしたら、そのつど、人は新しく人生を始めることができるのかもしれませんね。
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