シュタイナーの『普遍人間學』といふ一册の講義録。
それは、子どもたちを育てるといふ教育藝術に勤しむときの、基となる人間學が全十四講において述べられたものです。
その第一講で、わたしたち大人自身の「エゴイズム」を凌いでいくことの重要性が述べられてゐます。
「エゴイズム」とは、實は、未來を不安に思ふこと、行く先のことを思ひ患ふこと、將來、何かを失ふことを恐れること、そして、そこから必然的に生まれて來るこころの防衞反応だといふことなのです。
エゴイズムは、恐れから生まれてゐる。
「ない」「足りない」「失つてしまつたら、どうしよう」といふ恐れからエゴイズムは生まれて來るのだとシュタイナーは語ります。
そのやうな思ひは、人をどうしても不自由にします。
そのエゴイズムから自由になるためには、わたしたちは、いまだ訪れてゐない未來のことを思ひ患ふことをやめて、ありありてあつた、わたしたちの過去、來し方をかへりみること。
いかに多くも多くの人やものごとに、わたしたちは支へられ、守られて來たかを想ひ起こすこと。
その精神からの想ひ起こしは、わたしたちに、こころの安らかさを取り戻させます。こころの充ちたりを取り戻させます。感謝を念い起こさせます。
ずつと、ずつと、わたしのわたしたるところ、<わたし>は、守られ、支へられ、育まれて來たといふこと。
行く先において何かを失ふこと(お金がなくなる、病氣になつて健康を失ふ、他人からの愛を失ふ、いのちを失ふ・・・などなど)を恐れることをやめること。
これまでにありありとあつた、そして、このいまも、ありありとある、<わたし>を見ること。想ひ起こすこと。この<わたし>は、決して、傷つけられることも、失はれることもなく、とこしへにありつづけます。
一日を「ない」から始めるのではなく、「ある」から始めること。
「あり續けてゐる」「すでにある」「すでにすべてを持つてゐる」といふ考へ、念いから、一日を、毎日を、始めること。
毎日、毎朝のメディテーションとコンセントレーションが、その一日の始まりを創つてくれます。
子どもたちは、その「ありありてあり續けてゐる」精神の世から降りて來たばかりです。
そのことを思ひつつ、教育に勤しむ。
『普遍人間學』の第一講。
そこには、シュタイナーからのそのやうなメッセージが述べられてゐます。
こころの内にどのやうなことを考へ、どのやうな想ひを持つかといふことが、健やかに生きて行く上で、どれほど大切なことでせう。
そして、もちろん、教育といふ仕事においても、その健やかさが缺かせないのです。
このことが心底分かるのには、隨分と人生の酸いも甘いも嚙み分ける時間が必要なのだと、わたし自身、感じます。
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