本を読むといふこと、読書するといふことについてしたためられてゐる本を読むことがわたしは好きで、さういふ本を書店で見るとつい手に取つてしまひます。きつと、多くの読書好きの人も、さうではないでせうか。
ここのところ、吉田健一著『本が語つてくれること』を毎晩寝る前に少しずつ読み進めて来て、昨晩読み終へたのです。
これは、約半世紀前に新潮社から出版されたもので、つい最近、平凡社ライブラリーからの一冊としても出版されてゐます。
彼の文章を読み始めると、最初は、一体、何を言はうとしてゐるのか、あまりにも判然としないその粘液質的な文体に驚き、その癖の強い(と感じられる)ことばの綴り方にアンチパシーを覚えたのでした(^_^;)。
ところで、購入したあと、頁を開き、読み始めて、なぜか、読み進めることができなくて、机の上か本棚の肥やしになつてゐる本があります。いはゆる「積読(つんどく)」ですが、この積読されてゐる本を何年か、もしくは何十年か後に、読んでみようといふ気運が自分の中に立ち上がつて来て、本棚から取り出し、やうやく読み始めることが時々あります。さうして、読み始めるやいなや、なぜかぐいぐいと読み進むことができてしまふことがあります。
ある本に親しむには時間が必要で、読む側の準備が整ふまで、本の方が待つてくれてゐる、そんな感じなのですね。
しかし、この吉田健一の『本が語つてくれること』は、頁を閉じかけたのですが、なぜか、すぐふたたび、手に取つたのでした。
それは、わたしにとつてはとても難解に思へたこの本の文体の後ろ側に、とても高貴な人がひめやかに佇んでゐる気配を感じたからでした。
まるで、静かに揺れながら立つ林のやうな、もしくは、くねりながら流れる川の水のやうな文体。
しかし、その林の奥に入つて行く粘り強さ、水の流れに沿ふやうな柔軟ささへこちらにあれば、つまりは、読むこちら側の精神さへ整へれば、きつと、読んでいくことができるといふ予感があつたのでした。
そこで、腰を据ゑて読み始めたのでした。
すると、間もなく、著者の柔軟にしなりつつ、凛として立つてゐる精神から流れて来る、実に豊かな音楽が静かに奏でられてゐることを感覚し、ことばの林を歩いてゆく喜びがこんこんと湧き上がつて来るではないですか。
さうして、この著者に対する信頼の情といつてもいいやうなものが増してくるのです。これは、とても嬉しく、ありがたいことです。
対象に対するこちら側の成熟だけが問はれてゐるといふ感覚を抱くことができるのは、幸せなことです。
なぜならば、そんな問ひを抱かせてくれる人は、きつと、大人だからです。本当の大人だからです。そんなまことの大人、まことの成熟した人に出会へることは、本当に喜びです。
あくまでも、わたし個人の感覚にすぎないのですが、この本を読み終へて感じてゐることは、そのやうな「大人」が昭和40年頃まではここ日本にも多くいたのではないかといふことです。それは、戦前に教育を受けた人がまだ昭和40年頃まで社会の一線におられて活躍してゐたのではないかといふことなのです。
吉田健一といふひとりの人から生まれたことばを通して、そのやうな風合ひを憶ひ起こすことができたことは、わたしにとつて、まことに嬉しいことでした。
ちなみに、彼は、46代目の戦後の総理大臣、吉田茂の長男で、イギリス、ケンブリッジ大学で学び、英語、フランス語、ラテン語、ギリシャ語に通じ、評論や小説、そして英文学の翻訳などを多数なした方です。
最後に、この本の中でも、比較的、分かりやすい( ´艸`)文章をここに掲げさせてもらひます。
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本を書くといふのは言葉を探すことであつてそれを読むことで言葉を探す手間が省けると思つてはならない。
或る本に一連の言葉が出て来る時にそれを得る前の作者の状態に自分を置いて自分もそれを探すのでなければ言葉は響いて来ない。
そんなことはないと思ふならば実際に何か読んでゐる時の自分の状態に注意を向けるといいのでそこに書いてある言葉の通りと自分でも感じるのはそれを見付けて言つてゐることに確信を得た作者の立場に自分を置くからである。
それでこそ本を読むことで精神が働き出す。
この生気が本を読む時に必要であつて従つてこれはそれを促すだけのものがない本は読むに価いしないといふことでもある。
(140頁)
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