今、それぞれのオンラインクラスで、シュタイナーの『いかにして人が高い世を知るにいたるか』と『テオゾフィー 人と世を知るということ』の二冊を講義させてもらっています。
奇しくも、どちらのクラスでも、テーマがシンクロしていまして、「輪廻転生とカルマ(人が再び体をなすことと仕合わせ)」なのです。
つまり、この肉体の眼では確かめることのできない、いわゆる「スピリチュアル」な事柄なのですね。
しかし、この「スピリチュアル」なことこそ、筋道を辿ってしっかりと考えることを通して、こころの内に、その「スピリチュアル」な階段を一段一段昇ってゆくことができるということを教えてくれているのが、ルードルフ・シュタイナーです。
「感覚」だけでなく、しっかりとしたその「論理性」、つまり考える働きによって、精神の世への道を一歩一歩進んでいく。
その考える働きを、静かに、浄めて行く作業、それがメディテーション(瞑想)です。
毎日繰り返されるそのメディテーションによって、わたしたちは、どこに向かうかと言いますと、それは、先ほど挙げたテーマである「輪廻転生とカルマ(人が再び体をなすことと仕合わせ)」を己が身をもって知ってゆくこと、まことの<わたし>を知りゆくことにあるのです。
そして、その知ったところから、今日という一日をどう生きるかという心意気に転換すること、そこにアントロポゾフィーの学びの最大の眼目があると言ってもいいように私は実感しているのです。
「輪廻転生とカルマ(人が再び体をなすことと仕合わせ)」を学ぶとは、それは、これまでの、長い、長い、時間の中で、わたし自身がなして来たこと、なすことができなかったこと、すべてのわたしの来し方のありようが、今のわたしの毎日の暮らしに運命として働きかけて来ていることの意味をリアルに知ることなのです。
我が運命の意味を知る、とは、その運命が、「幸せ」の仮面をかぶっていようと、「不幸せ」の仮面をかぶっていようと、必然性を持ってわたしの人生に訪れた我が運命を愛することであり、我が運命を抱きしめ、我が運命に体当たりしていくことであります。
その体当たりしていくこと、それが、「今日という日をどう生きるかという心意気」に転換されるアントロポゾフィーの学びの真髄であると、わたしは確信しています。
わたしもまた、ひとりの人として、長い、大いなる旅をして来ました。そして、今、生かされて、ここに、います。
そして、すべての人、すべての子どもたちも、大いなる旅の果てに、いま、生かされて、ここで、出会っている。
できることはたかが知れていたとしても、少なくともわたしが出会うすべての人に、その考えと感覚とを重ね合わせて、お付き合いをしていきたい。
それが、アントロポゾフィーの学びと実践に、相も変わらず、付き合い続けている、わたしの悲願なのです。
地味な歩みですが、確かな道を歩いていると、わたしもまた、実感しています。
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