
朝日新聞デジタルより
遅ればせながら、昨日、初めて、「メタバース」なるものについて人様から教えていただきました。
それは、「 3 次元の仮想空間(バーチャル空間)」を指すことばで、そこで複数の人との間でゲームを楽しんだり、会議をしたり、コミュニティーを営むことができ、新しいビジネスも展開されているそうです。
目や耳を覆う VR ゴーグルやヘッドセットを装着して、その仮想空間に没入することができ、また、アバターという自分の分身を作ることで、自分のキャラクターを取り替えたりしながら、その仮想空間の中で人とやりとりをするとのこと。
このような新しい仮想空間、仮想社会が生まれて来るのは、時代の流れの中における必然だと思います。
こういった、ことの運びに対して言うべきことは一杯、一杯、ありますよね。
ただ、この時代の必然的な流れをどう迎えるか、この悪魔的とも言える流れに沿いつつも(無視することはできない!)、どう人としての根底の力を培い続けて行くか、そこにわたしたちの意識にとっての課題があるように思います。
人としての根底の力とは何か。
それは、またしても、手前勝手なことになってしまうのですが、昨日、生徒さんたちと言語造形をしていまして、わたしたちもまた、「仮想空間」を創りなしているではないか!ということに気がついたのであります。
人から息遣いを通して空間に発せられる、ことばの響きが、肉の眼には見えませんが、明らかに精神のとしか言いようがない、「絵姿」を描き出している!ということです。
ことばの音韻が息の流れと共に連なって、空気中に形と動きをもって動く様、そしてことばに沿った情景や色彩、匂い、調べなどをありありと感覚できる、この言語造形の時間と空間は、まさに、ことばという芸術による「精神の仮想空間」です。
その「精神の仮想空間」の中では、わたしたちはこころがみずみずしく甦るような、いのちが活き活きと甦るような時を生きることができるのです。
そして、この「仮想空間」を織りなすには、VR ゴーグルやヘッドセットを必要とせず、身ひとつあればできることであります。
からだとこころが、精神に向かって健やかに働くこと、つまり、芸術をまるごとで生きること、そこに向かって汗を流すこと、そこに向かって血をたぎらせることが要求されます。
時代の流れの必然を認めつつ、わたしたちは、からだとこころの内側からの欲する力、感じる力、考える力を目一杯使い切る、そんな時間をあえてこしらえることで、外側からの様々な流れや動きに翻弄されない、しなやかで強い内側を養い、培い、育て上げていくことに、邁進していきたいと思ったのでした。
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