仙台におけるシュタイナー教員養成講座。
昨年の5月のプレ講座から始まり、わたしはアントロポゾフィーの講義と言語造形を担当させてもらっています。
一年に4回、仙台の「おひさまの丘 宮城シュタイナー学園」に集まって朝から夕までの三日間連続の講座を様々な芸術実践を通してするほかに、毎週一回オンラインで集まり、シュタイナーの『いかにして人が高い世を知るにいたるか』という本を読みつつ、メディテーションの営みにも取り組み続けていまして、参加されているメンバーの方々との関係性がとても親しいものになってきていることを感じています。
この教員養成という営みですが、とかく、「シュタイナーはこう言っているのだから、教育実践においても、これこれこうでなければならない」というような規則のようなものが、シュタイナー教育にはつきまとっている印象を醸す恐れがあるのかもしれない、とよく危惧します。
しかし、徹頭徹尾、そうではないのですね。
実際に目の前にいるひとりひとりの子どもと丁寧に付き合い続けること、そして、教師ひとりひとりと丁寧に付き合い続け、誰よりも、そのひとりの教師を知ること、そこにこそ、この教育の特徴があります。
ひとりひとりの子どもを知ることだけでなく、教師である、その人を知ることなのです。
つまり、教師になろうとする人であるならば、自分自身をどこまでも知りゆこうと勤しむこと、そして、共に働く仲間の教師を互いに知りゆこうと勤しむことなのです。
教員養成の眼目は、いえ、すべての人の仕事のそもそもの眼目は、人を知るということなのです。
何をするか、何を教えるか、という事々は、「人というもの」を知ることから、ゆっくりと、その人その人に啓けて来ます。
だからこそ、教員養成とは、極端なものの言い方に聴こえてしまうかもしれませんが、そこで学ぶ者が「自分に何ができるか」と問うことではなく、「子どもというものは、どのようにして成長して行くことができるのか」「人というものは、どのような存在なのか」「世(宇宙)というものは、どのようななりたちをしているのか」という、本当に大切なことをまずは学び、知るために営まれているのです。
何が大切なことで、何が本当のことかを、知ること。アントロポゾフィーから、それを学び続けること。
自分自身の人生経験だけを下地にした、ある意味、自分勝手な価値観から仕事をするのではないのです。
そうではなく、「人というもの」についてのその認識こそを基にして、人は、自分自身を知るという学びに勤しみながら、ゆっくりと、少しずつ、少しずつ、自分にできることから始めて行けばいいのです。
ですので、学び合い、共に働く、仲間の存在が大切です。
それは、この人間観、世界観、宇宙観を共に育み合いながら、それぞれにできることを励まし合い、促がし合い、相談し合いながら、少しずつ、共に仕事を進めていくことのできる仲間の存在です。
同僚の援け、そして精神からの援けがあるからこそ、教師自身が自分の足りないところがあっても、努力して、ゆっくりと少しずつ力をつけて行くことができますし、何よりも安心して働いて行くことができる。
まずは、教師のための職員室が、誰もが安心して語り合うことのできる場であるように。
教師が安心して生きていますと、きっと、子どもたちも安心して毎日を生きていくことができます。
そのような場づくりのために、シュタイナー教員養成講座は開かれています。
人を、自分自身を、からだにおいて、こころにおいて、精神において、芸術的に知るということ。
その営みを通して、新しい場づくり、新しい仕事づくりが生まれて来ています。
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