本を読むといふこと。そして、本の読み方。
そのことの意味と方法をわたしたちは、学ぶことができます。
そのことを教へてくれるのは、誰でせう。
それは、よき本の書き手です。
なぜなら、よき本の書き手こそ、よき本を読み込み、読み続け、読み重ねて来た、その人だからです。
数限りない読書を通して、その人は、よき書き手になつたに違ひありません。
では、本を読むことの価値とは、何でせう。
それは、世の深みを知るといふことに尽きます。
浅さではなく、深みです。
本を読まないことは、人生を生きていく上で、世の浅さを泳ぐしかないことへ、そして、情といふ波に巻き込まれ、溺れ、翻弄されることへと人をいざなひます。
世の深み、人の深み、それは、人生の様々な経験だけでなく、その経験の意味を、知性と情ではつきりと「知る」こと、その知をこころで練り上げること、そして己れのことばへと鋳直すことによつて、得られます。
それら一連のプロセスを経させてくれるのが、読書なのです。
つまりは、読書とは、知的な営みでありつつ、人を人へとなしてゆくための、欠くべからざる、芸術行為なのです。
だからこそ、そのプロセスとは、根気を持つて、一冊の本と、長く、じつくりと、腰を据ゑて、お付き合ひをすることです。
さうしてこそ、人は、その本から秘密を打ち明けてもらへます。
もちろん、子どもが、自分自身の読みたい本を選び始める時、乱読、乱読の連続です。それでいいのです。
しかし、だんだんと何年かかけてその子は自分自身のこころの求める方向性を摑み始めるでせう。
さうして、一冊一冊の本を吟味して選び始めるのです。
流れゆく情報を提供し続けるインターネット上で文字を読むことでは、腰を据ゑてひとつの対象と付き合ひ続けることができないのです。
さう、ありきたりの情報は、いくらでも、インターネットを通して、手に入れることができますが、そのものが秘めてゐる秘密、その人が最も大切にしてゐることは、こちらが腰を据ゑて、こころを込めてお付き合ひし続ける以外、決して打ち明けてはもらへません。
わたしは、ルードルフ・シュタイナーといふ人からそのことの大切さを教えてもらひました。
もちろん、原書はドイツ語で書き記されてあり、わたしは日本語の翻訳でそのことを学んだので、翻訳のあり方も、大変、重要な要素でした。
わたしは、翻訳者・鈴木一博といふ人に出会へ、日本語といふものへの道を歩く、その姿勢の何たるかを彼から学ばせてもらつたやうに思ひます。
彼も、まさしく、言語を生きるといふことが、人にとつてだういふ意味を持つのかといふことに対して、はつきりと意識的な人でした。
シュタイナー自身がそのことに本当に意識的であつた人だつたからこそです。
ことばを、大切に読む人、聴く人、書く人、話す人、その人は世の深み、人の深みを知り、その深みを生きるがゆゑに、さういふ人が増えてゆくことが、世を守り、世を建て直し、世に新しい息吹を吹き込んでゆく原動力になるのです。
では、最後に、だういふ本を選べばいいのか、といふことについて。
それは、その人のこころに、よき本を求めるこころが息づいてゐるなら、必ず、よき本の方からその人に接近して来ます。
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