何度目かの小林秀雄『本居宣長』の熟読。この本は、何度読んでも、わたしを魅了します。
「ものを学ぶ」といふことが、どれほど人間的な、全人的な行為であることか。
宣長は若い頃、地元の松坂を出て京都に留学し、契沖といふ人の書いた「百人一首改観抄」といふ本を見て、いつぺんに目を覚まします。
それは当時、江戸時代の中期ですが、四角四面のものになり過ぎてゐた学びといふもののあり方を根底から覆して、学びそのものを芸術行為となす、契沖の「大明眼」に驚いたからでした。
学びの仕方に決まりきつた方法などない。ただただ、対象に向き合ひ、それと付き合ひ続け、それへの共感を育て、その内部へと入り込み、それを愛し、それとひとつになること。それこそが学びといふものに他ならないといふこと。つまりは、「ものへゆくみち」を歩く以外にないのです。
わたしなどは、高校生ぐらゐの人たちと、例えば、この本を読むだけで一年間授業をしてみたいと夢見ます。
読むことによつて、まさに声に出して訓むことによつて、古語の内に入りゆく。いにしへの人のこころの内へと入りゆく。そこに聴こえて来る精神は、絵空事としての精神ではない、今と未来へと突き抜ける生きた精神だと直感する。
学びについての学び。
知的な学びの中にファンタジーが湧き上がつて来ます。
「源氏(物語)二カギラズ、スベテ歌書ヲ見ルニ、ソノ詞ヒトツヒトツ、ワガモノニセント思ヒテ見ルベシ、心ヲ用テ、モシ我物二ナル時ハ、歌ヲヨミ、文章ヲカク、ミナ古人トカハル事ナカルベシ」(あしわけをぶね)
契沖、宣長、小林秀雄といふ人を通して江戸時代から昭和の時代へと引き継がれた「ものへゆくみち」のリアリティーは、わたしはこれからの時代にも決して古びては行かないものだと感じてゐます。
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