
棟方志功『R火頌(かぎろひしやう)』より
保田與重郎の和歌
「火の國の阿蘇の神山神の火の魂依りしづか燃えていませり」
わたしは、内において、新しく甦ることができる。
己れであることの拡がりを感じる。
そして、力に満ちた考への輝きが、
こころの陽の力から、
生きることの謎を解いてくれる。
いくつもの願ひを満たしてくれる。
これまで希みのつばさは、弱められてゐたのに。
Ich kann im Innern neu belebt
Erfühlen eignen Wesens Weiten
Und krafterfüllt Gedankenstrahlen
Aus Seelensonnenmacht
Den Lebensrätseln lösend spenden,
Erfüllung manchem Wunsche leihen,
Dem Hoffnung schon die Schwingen lähmte.
わたしたちひとりひとりは、こころにおいて、アクティブになれる。
それは、影のやうな様々な死んだ考へを漠然と抱くのを止めて、積極的に、こころの熱くなるやうな考へをリアルに持つときだ。
自分自身が本当に考へたいことのみを考へるときだ。
そのとき、考へが、干からびた枠組みだけのものから、こころを熱く息づかせるいのちを持ち始め、こころは新しく甦る。
陽は夏の間、外側に照り輝いてゐたけれども、秋からは、こころの内に輝き始めることができる。
そして15世紀から始まつてゐる新しい時代において、人が抱く考へがどんどん干からびたものになつてきたのも、ちやんとした理由がある。
それは、わたしたちが生きてゐる20世紀から21世紀にかけて、その死んだ考へを、ひとりひとりが意識的に、アクティブに、こころの内でいのちあるものに変容させるためだ。
考へを活き活きとしたみづみづしいものに。
その変容は、秋といふ季節において起こり得ることであり、またわたしたちの時代において起こし得ることである。
「内において、新しく甦る」「己れであることの拡がり」「力に満ちた考への輝き」「こころの陽の力」
なんと、力強い、いのちのみづみづしさを湛えたことばたちだらう。
ことばを繰り返し繰り返し詠むことで、ことばに湛えられてゐるいのちを汲み出さう。
声に出すことで、考へを活き活きと深めていかう。
考へがいのちを得て、こころが熱く息づく。
こころに陽が輝き始める。
わたしは、内において、新しく甦ることができる。
己れであることの拡がりを感じる。
そして、力に満ちた考への輝きが、
こころの陽の力から、
生きることの謎を解いてくれる。
いくつもの願ひを満たしてくれる。
これまで希みのつばさは、弱められてゐたのに。
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