甲山(かぶとやま)が後ろに控えるわたしが卒業した関西学院大学
昨夜も、とても嬉しいことに、娘たちとたつぷりと話しを交はすことができました。
何気なく話し始めるところから、やがて深い語り合ひにおのづと入つて行く中で、十代の若い人たちが、また、ご縁のある方々が、学ぶ喜びを自分自身で呼び覚まして行く。
それは、ひとりの親としても、また我が仕事としても、コツコツとなして行きたい仕事です。
わたし自身の十代後半の想ひ出として、お恥ずかしいことながらいまだ夢見心地の意識でありましたが、ひたすらに大学といふところへの期待がありました。
はつきりと意識されてはゐなかつたのですが、わたしには、学ぶといふことへの強い強い憧れがありました。それは、すなはち、「人といふもの」を知ることへの強い憧れでした。
だからこそ、人を求めてゐました。
客観的な科学などではなく、学問に、芸術に、仕事に、精魂込めて生きてゐる「人」を求めてゐました。
客観的な、冷たいものではなく、こころからの暖かさに触れたかつたのです。
しかし、大学で、人を見いだすことはできませんでした。
そこには、教室がありました。図書館がありました。研究所もありました。事務所もありました。しかし、「人」はゐませんでした。
別のたとへになりますが、子どもも、若者も、自分たちだけでは、いくら大自然のもとにゐようとも、その自然から何も学ぶことはできません。自然について生きた語りをする大人が、どうしても要るのです。
同じく、文化の営みに入つて行きたい若者も、その文化の営みを生きてゐる大人がそばにゐる必要があるのです。
そして、さらに大切なことは、学び手である若者に、「うやまひ」と「へりくだり」の情が内に育まれてゐてこそ、初めて彼は「人」に出会ふことができるといふことです。
客観的な科学を第一の主要課題とする現代の教育機関では誰も教へてくれないことです。
そのやうな客観的な科学に押しのけられて、ほんものの智慧(この「智」といふ漢字は、「とも」とも読みます)は泣いてゐる。まさに100年前、そんなことをルードルフ・シュタイナーは語つてゐます。
「わたしの名は、客観的な科学の前では名のることを許されてゐない。わたしは、フィロソフィー、ソフィア、智慧である。わたしは、愛といふ恥ずべき名と、その名によつて含まれてゐるものを持つてゐる。そして、それは、人のこころの奥深くの愛と関はりがある。わたしは、人前には出られない。どうしても顔を伏せて歩いてしまふ。「客観的な科学」は、「フィロ(愛)」を含まないことを誇りにしてゐる。さうして、そもそもの「ソフィア(智)」を失つてゐる。しかし、それでも、わたしは歩んで行く。そもそも、わたしは、なほ、人であることの気高い情を内に担つてゐる」(1922年10月4日 シュテュットガルト 「青年のための教育講座」から)
若い人たちは、まどろんでゐます。しかし、そのまどろみをみづから引き裂いて、目覚めたいと切に求めてゐます。
しかし、その求めに応へるには、わたしたち大人こそが、まどろみをみづから切り裂き、目覚めなければなりません。
フィロソフィー(愛智)に出会ふこと。
フィロソフィー(愛智)を生きる人に出会ふこと。
そのやうな仕事を始めて行く必要が、あるやうに思はれてなりません。
そのためには、まづ、わたし自身が、目覚めてゐる必要があります。
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