先日の「出会ひの会」においても、「アントロポゾフィーの学びにどつぷりと浸れる場がどんどん無くなつて来てゐる」といふ話に深く聴き入りました。
ヨーロッパやアメリカなどにおいても、その傾向はどんどん進んで来てしまつてゐるといふことでした。
ましてや、アントロポゾフィーといふ百年以上前に中部ヨーロッパで生まれた精神の学を、日本語で、日本の文化において捉え直し、日本の土着性の中で根付かせて行かうとしてゐるわたしたち日本人にとつて、そのやうな環境はあるのでせうか、ないのでせうか。
わたし個人の中では、それは「あつた」と言へます。しかし、いまは、「ない」としか言へません。
事実として、約30年前の1993年から、東京都新宿区高田馬場にあつた「日本ルドルフ・シュタイナーハウス」において、わたしは毎日、言語造形といふ芸術実践に就くことができ、アントロポゾフィーといふ精神の学にどつぷりと浸ることができました。
そこには、七年間、通つたのでした。
1980年代に盛んにスイスやドイツに留学した、わたしよりもひとつ前の世代と言つてもいい方々が日本において学びの場を生み、育てて下さつたお陰と言へます。
さう、そのときは、人から人への生きた受け伝へがありました。まるで、江戸の幕末から明治維新後の私塾のやうな形でした。
厳しい指導でした。しかし、間違ひなく、そこには愛があり、涙があり、汗があり、何よりも、掛けに掛けた時間の蓄積がありました。
人が成長するための学びにおいて必要なものとは何でせう。
それは、必要であるならば必要なだけ、時間を掛けることです。はしょらないことです。いいとこ取りしないことです。安全地帯から飛び出して、学びに没頭する一定の時間を持つことです。
さうして、初めて、人は、己れといふものに信頼を持つことができ、少々のことがあつても挫けずに、学びの道を歩き続ける強さが血と肉となつて身につきます。
だからこそ、その学びが、その人の仕事へと転化されてゆきます。一人前の仕事となるべく、仕事も、その人も、共に成長して行きます。
アントロポゾフィーは、ひとりひとりの人の「仕事」になつてしかるべきものなのです。その人の「人生そのもの」「生きることそのこと」になつてしかるべきものなのです。
そのためには、どつぷりと学びに浸る時間の蓄積が、どうしても要る。
さう思はずにはゐられないのですが、そのやうな志は、精神からしか出て来ません。
経済のことや他のしがらみなどのことを考へてゐては、全くもつて、そのやうな精神からの発意は死んでしまひます。
萌してきた精神の発意を殺さずに、発芽させ、成長させていくことを専一に考へ、実行して行きさへすれば、経済的なことやその他のことなどは、後からついて来ます。
わたしのこれからの仕事は、リアルな場とオンラインでの場とを連携させながら、アントロポゾフィーと芸術実践に没頭できる場づくりであり、そのためには、いま一度、わたしみづからが、経済的なことやその他のことなどを措いて、我が精神の発意の芽を伸ばしていくことなんだとこころに決めてゐます。
このままだと、いくらインターネット技術が便利になり、栄へようとも、日本においては、アントロポゾフィーを仕事にする人はゐなくなり、必然的に、アントロポゾフィーといふ精神運動は絶えます。
しかし、ひとりの人からの発意が、何かと結ばれて、日本のこれからのアントロポゾフィー運動のひとつとして、きつと、なりなりてなりゆくのです。
アントロポゾフィーハウス 諏訪耕志
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