朝の光が差し込む聖なる空間。
昨日まで教員養成講座のために滞在してゐた「おひさまの丘 宮城シュタイナー学園」の教室を、鳥の鳴き声が聞こえ始める早朝、観てゐて、様々なことを想ひました。
ことさら特別に驕り高ぶつた意識を持ちだして「聖なる」などといふことばを使はなくてもいいと思ひます。
ただ、「聖なるもの」は、この世にあると思ふのです。
いえ、精確に言ふと、「聖なるもの」は、人によつて創り出されるのだとわたしには思はれるのです。
本当の聖なる空間とは、子どもを含め、ひとりひとりの人が、その人になりゆく場である。
人が、自由へと羽ばたいてゆくことのできる場であり、その力を養ふ場であります。
それは、シュタイナー学校でなくても、この世のいたるところに創られうる。
ただ、アントロポゾフィーの学びに育まれて、わたしたちは意識してさういふ場を創つてゆくことができる。
その意識からなされる仕事場のひとつが、このシュタイナー学園。
そこは、シュタイナー教育の方法論ではなく、ひとりひとりの人の誠実さが生きうる場です。
そこでは、誠実にことばが語られます。
これは、成長してゆく子どもたちにとつて、何よりのことではないでせうか。
そして、わたしたち大人にとつても、何よりのことではないでせうか。
なぜなら、そこでは、大人であるわたしたち自身が、誠実にことばを語らうと努めることで、こころを誠実さへと、精神へと、引き戻すことができるからです。
誠実さとは、人がみづからのこころをみづからで観ることから、だんだんと育つてくるものです。
人は、誠実になると、その人そのものへと立ち返ります。
外から取つてつけるやうな特別なものは何も要りません。
上手くことが運ばないことも多々あるでせう。綺麗ごとでは済まないこともままあるでせう。
しかし、そんな時こそ、みづからのこころをみづからで観る。
このことが、アントロポゾフィーからの教員養成の基のことだとわたしは念ひます。
また、まうひとつのことをも思ひました。
それは、育ちゆく人を見守つてゐるこの聖なる空間の誠実さを担保してゆくためには、場をある程度の「小ささ」に留め置くこと。
日本の古いことばに、「初国(はつくに)、小さく作らせり」といふ切なく美しいことばがあります。
人と人とが誠実に語り合へる「小ささ」を守りゆくことも大切なことのやうに思へるのです。
それは、幾とせを経ようとも、「初心(ういういしいこころ)」「初国(ういういしい国づくり)」の念ひに立ち返ることへとわたしたちをみちびいてくれるのです。
さういふ聖なる場で育つことができた人は、その国を出でて、荒々しいとも言へる大海原(おほうなばら)へと漕ぎ出してゆくことのできる力をも持つことができる。
その力を持つ前に、いきなり、荒々しい大海原に子どもたちを投げ出してはならない。
さういふ意識を、ルードルフ・シュタイナーは持つてゐました。
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