藤島武二『蝶』
わたしはこころを拡げることができるのか、
受けとつた世のきざしのことばを
己れと結びつけつつ。
わたしは予感する、きつと力を見いだすことを。
こころをふさはしくかたちづくり、
精神の衣へと織りなすべく。
Kann ich die Seele weiten,
Das sie sich selbst verbindet
Empfangnem Welten-Keimesworte ?
Ich ahne, das ich Kraft mus finden,
Die Seele wurdig zu gestalten,
Zum Geisteskleide sich zu bilden.
前の週の『こよみ』において、世のことばが語りかけてきた。
「わたしの世のひろがりをもつて、あなたの精神の深みを満たしなさい」と。
夏の世の大いなるひろがり、それに沿ふことができたなら、それは沿ふ人に、これまでの生き方、考へ方、感じ方を越えるやうなものを、「贈りもの」として与へてくれる。
これを読んでくださつてゐる皆さんには、どのやうな「夏の贈りもの」が贈られただらうか。
その「贈り物」を受け入れる器。
その器が「こころ」であるならば、わたしはみづからにあらためてかう問ふことになる。
「わたしはこころを拡げることができるのか」
その問ひに応へていくことが、この夏から秋へと移つていく時期のテーマだと感じる。
新しい考へ、価値観、ライフスタイル、人生観、世界観、それらを「己れと結びつけつつ」。
しかし、その結びつけは、きつと、外からの結びつけではなく、内からおのづと生じてくる結びつきになる。
夏といふ季節を精神的に生きる。
それは、こころをこれまでよりも拡げることである。
「わたしは予感する、きつと力を見いだすことを」
それは、こころを拡げ、こころを、精神から織られた衣(ころも)にする力。
衣(ころも)とは、万葉の昔から、「恋衣」「旅衣」「染衣」のやうに、深く、活き活きと、しみじみと息づく、生活感情を言ふことばとしてよく使はれてゐたさうだ。(白川静『字訓』より)
「ころも」も「こころ」も、三つの o の母音から成り立つ、やまとことば。
それは、本来、精神から凝(こご)るものとしての動き、わたしたちのからだにまとふものとしての動きを、音韻として顕はにしてはゐないだらうか。
こころといふものが、精神といふわたしのわたしたるところ・わたしの芯〈わたしはある〉から、織りなされる。
そして、からだにまとふ衣となつて、身のこなし、振る舞ひのひとつひとつに顕はれる。しなやかに、柔らかく、輝きつつ。
そんな内なる力をきつと見いだす。
この夏から秋の初めにかけてのテーマであり、学び続けてゐる人への励ましでもあるだらう。
わたしはこころを拡げることができるのか、
受けとつた世のきざしのことばを
己れと結びつけつつ。
わたしは予感する、きつと力を見いだすことを。
こころをふさはしくかたちづくり、
精神の衣へと織りなすべく。
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