2022年07月06日

猛勉強こそ、世を啓く



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咸臨丸難航の図(鈴藤勇次郎画)



いま、世で大いに働いてゐる人は、猛勉強の末に、そのやうに働くことができてゐるのですね。


大人になつてからも、何年、いや、何十年にもわたつて、勉強に勉強を重ねて来た人が、いま、世のため、人のために、働いてくれてゐます。


そのやうなことは、昔からさうでした。


日本の歴史の中で最も人が勉強したのは、おそらく江戸時代ではないかと思ひます。


功利や立身出世を思はず、江戸時代の人たちは、ひたすらに学ぶことそのことに対する楽しさ・喜びに目覚めてゐました。


ただただ学ぶことを通して、生きることの意味を追ひ求めることのできた学びの場の中では、ひとりひとりの人が当時の封建的な社会の枠組みから自由になることができました。


だから、気骨のある、こころざしに燃える若者などは、熾烈なと言つてもいい位の猛勉強をしてゐました。


その学びは、目先の利益やそれに類するやうなことにかかずらわるのではなく、十年後、五十年後、百年後の社会のこと、日本のことを思ひつつ、なされてゐました。


学びの中に、こころもからだも総動員しながらの精神がありました。


だからこそ、逆に、その後に訪れる幕末から明治維新の急激で切迫した時代の変化に翻弄されるのではなく、むしろ時代を切り開き、創り出してゆく創造的な働きを多くも多くの若者がすることができたのでした。


その意識の目覚めと意志のパワーたるや、今では想像することも難しいほどの驚きです。


自由学問都市であつた当時の大阪(大坂)の街を闊歩してゐた福沢諭吉などは、緒方洪庵の適塾で猛烈な学びの日々をからからと笑ひながら送つてゐました。


明治維新が起こつた1868年(明治元年)から77年経つた1945年(昭和20年)に日本の大転換があり、その年から77年経つ2022年(令和四年)が今年です。


いま、大変な危機が日本に訪れてゐると、多くの人が意識してゐますね。


今こそ、国民こぞつての(とりわけ、世の男たちの!)「猛勉強」が要るのだとわたしは念つてゐます。


わたし個人としては、アントロポゾフィーといふ中部ヨーロッパからおほよそ百年前に発した学問と芸術の道を通して、日本といふ国のこの危機に向き合つて行くことを意識します。


真夏の訪れと共に、からからと笑ひながら、57歳、不肖わたくしも猛勉強に勤しんでゐます。





posted by koji at 16:32 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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