大阪市住吉区の生根神社の夏越の大祓ひ
そして、わたしはある、感官の高みに。
ならば、燃え上がる、我がこころの深みにおいて、
精神の火の世から、
神々のまことのことばが。
「精神の基にて、予感しつつ、探し求めよ、
あなたを精神の縁(えにし)とともに見いだすべく」
Und bin ich in den Sinneshohen,
So flammt in meinen Seelentiefen
Aus Geistes Feuerwelten
Der Gotter Wahrheitswort:
In Geistesgrunden suche ahnend
Dich geistverwandt zu finden.
これから始まる夏、草木の緑、色とりどりの花々、空の青、太陽の光と熱、活き活きと働いてゐるその自然のいちいちから、客観的な精神が人に語りかけてくる。
一行目の「わたしはある、感官の高みに」とは、ものといふもの、そのいちいちを、じつくりと見、聴き、触れ、味はふことを通して、普段見過ごし、聞き過ごしてゐるものが、よりものものしく、より明らかに、より動きを伴つて、見えてくる、聴こえてくるといふことと通じてゐる。
感官の高み。
それは、こころの細やかな密やかな深まりとして、育まれるもの。
自然のいちいちに静かに眼差しを向け、その息遣ひに耳を傾けてみよう。
その密やかさのうちに、ことばが燃え上がるやうに響いてくる。こころの深みにおいて、精神の火の世から、神々のまことのことばが。
「精神の基にて、予感しつつ、探し求めよ、
あなたを精神の縁(えにし)とともに見いだすべく」
1922年ドルナッハでの講演録『四季の宇宙的イマジネーション』(水声社)を紐解いてみると、夏に、そのやうな、我がこころの深みに燃え上がることばのなんたるかが、誰によつて話されてゐるかが、シュタイナーによつて指して説かれてゐるのを読むことができる。
まことのことばを燃えるやうに人に語りかけてゐる神々。客観的な精神。その外なる精神は、この季節、金色に輝いてゐる。わたしたち人に、燃え立つ炎のやうに語りかけてゐる金色の精神。
この夏の外なる精神の方々が発する、金色の輝きを浴びるわたしたちは、冬、クリスマスの頃、みずからのこころの奥底、精神の基に、内なる金色を輝かせることができよう。
来たる冬に、精神に縁(えにし)のある、金色に輝く己れみづからをしつかりと見いだすことができよう。
夏のいまは、外なる金色の光に応じるやうに、眼差しを注ぎ、耳を傾け、さらには、踊り、歌を歌ひながら、精神の縁(えにし)・朋とともに、音楽と詩を奏でることで、冬に見いだすものを予感しつつ、探し求めるのだ。
金色の精神が語ることばを聴くのだ。
そして、わたしはある、感官の高みに。
ならば、燃え上がる、我がこころの深みにおいて、
精神の火の世から、
神々のまことのことばが。
「精神の基にて、予感しつつ、探し求めよ、
あなたを精神の縁(えにし)とともに見いだすべく」
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