2022年06月23日

こころのこよみ(第11週)〜白日の下の美しさ〜



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この、陽の時に、
 
あなたは、賢き知を得る。
 
世の美しさに沿ひつつ、
 
あなたの内にいきいきとあなたを感じ切る。
 
「人の<わたし>は、みづからを失ひ、
 
 そして、世の<わたし>の内に、

 みづからを見いだすことができる」
 
 
 
Es ist in dieser Sonnenstunde   
An dir, die weise Kunde zu erkennen:      
An Weltenschönheit hingegeben,       
In dir dich fühlend zu durchleben:       
Verlieren kann das Menschen-Ich        
Und finden sich im Welten-Ich.    
 
 
 
 
 
「世の美しさ」とは、決して表側だけの美しさを言つてゐるのではないだらう。
 
 
この、陽の時には、美しさも醜さも、素晴らしさも馬鹿馬鹿しさも、すべてが白日の下に晒される。
 
 
それらすべてが白日の下に晒され、光が当てられるからこそ、「世の美しさ」なのだ。
 
 
その晒されたものがなんであれ、人はそれを経験し、生きなければならない。
 
 
善と悪、美と醜、真と偽、喜びと悲しみ、それぞれがひとつのもののうらおもてだといふこと。
 
 
そのやうな、のつぴきならなさが、「世の美しさ」として感じられるだらうか。そして、それに沿ふことができるだらうか。
 
 
どんな単純なものごとであれ、複雑なものごとであれ、どんな素晴らしいことであれ、酷いことであれ、わたしたちは、そのものごと、できごとを見くびらずに、その深みを見てとることができるだらうか。
 
 
ものごとは、なんであれ、付き合ひ続けて、沿ひ続けて、初めて、密やかに、その深さを打ち明け始める。
 
 
子どもの立ててゐる寝息や家族の笑顔。草木や花々の健気ないのちの営み。日々つきあつてゐる者同士の関係、愛、いさかひ、葛藤。毎日移り変はつていく世の動向。人びとの集団的意識の移り行き。


それらひとつひとつが、その深みを顕してくれるのは、はやばやと見くびつてしまはずに、こころをこめてそれに向き合ひ続け、沿ひ続けるときだ。
  
 
そして、ものごとに沿ふといふ行為の、肝腎要(かなめ)は、
ものごとと<わたし>との関係において、何が過ぎ去らず、留まるものなのか、いつたい何が本質的なことなのか、といふ問ひをもつこと。
 
 
それが精神を通はせつつ、ものごとに沿ふことの糸口になる。からだをもつて振る舞ひ、こころから行為していくことの糸口になる。
 
 
その時、捨てようとしなくても、人は狭く小さなわたしを捨てることができるかもしれない。
 
 
そして、はるかに広やかで、はるかに深みをもつた<世のわたし>の内に、「賢き知」と、他の誰のでもない、自分自身のこころざしが、立ち上がつてきはしないか。
 
 
人の<わたし>は、みづからを失ひ、そして、世の<わたし>の内に、みづからを見いだすことができる。
 
 
 
 
この、陽の時に、
あなたは、賢き知を得る。
世の美しさに沿ひつつ、
あなたの内にいきいきとあなたを感じ切る。
「人の<わたし>は、みづからを失ひ、
 そして、世の<わたし>の内に、
 みづからを見いだすことができる」
 


posted by koji at 09:40 | 大阪 ☁ | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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