京都の大原の里
あるクラスでは、こころの育みのために、種(たね)を目の前に置いて、じつと見る練習をしてゐます。
そして、その種を見つつ、いくつもの次第を経て、定められたあるいくつかの考へを重ねて行きます。
定められた考へにきつちりと沿ひ続けることによつて、その考へに結び付く情が、こころに深く染み込んでゆくのです。
また、あるクラスでは、自分自身の呼吸の営みと、外の世に拡がる植物の一木一草との間に、その生命の循環の持つ神々しい関はりあひに意識を注ぐことで、植物を見るたびに静かな情の深まり、高ぶりを得ることを学びます。米や野菜や果物などを口にいただくたびにありがたいといふ感謝の念ひを持つことを学びます。
それらの学びや練習は、わたしたちのこころに何を促すのでせう。
その深められ強められた情の営みが、わたしたちのありやうを甦らせるのです。フレッシュにするのです。生まれ変はらせるのです。
毎日を、新しく生きるいのちの健やかさ、こころの健やかさをみづから生み出してゆく、そんな精神からの学びと練習です。
アントロポゾフィーからの教員養成といふ営みも、そんな大人を育てようとする営みなのです。知識を頭の中に溜め込むのではなく、ものを観るたびごとに、深い情、強い情を覚えることのできる人を育てること、それがアントロポゾフィーからの教員養成です。
ここで、シュタイナーの『神秘劇』の中のことばを上げさせてもらひます。
ーーーーー
種子は力を秘める。
その力は育つ植物にどう育つべきかを教へますか。
いいえ、教へるかはりに、
植物のうちに生きた力として働きます。
わたしたちの理念も教へではありません。
教へるかはりに、わたしたちの営みそのものとなり、
いのちを沸かし、いのちを放つにいたります。
わたしにしても、さうして理念の数々をものにして来ました。
だからいま、ひとつひとつのことに生きる意味が汲み取れます。
生きる力ばかりか、わたしはものごとを見る力をも得てゐます。
子どもたちを育てるにも希望があります。
これまでのやうに、
ただ仕事ができる、ただ外面で役立つだけではない、
内面で釣り合ひがとれる、
満たされたところを保つて生きていける、
そんな人へと育ててみたい。
ーーーーーー
.
【アントロポゾフィーの最新記事】
- 死にし者への祈り
- 理想をことばに鋳直すお祭り ミカエルのお..
- エーテルの世を描いている古事記
- 我がこころのこよみ
- 「分かる」の深まり
- ヨハネの祭り 夏、地を踏みつつ天へと羽ば..
- 夏至考
- 幼な子の夢見る意識を守ること
- メディテーションのことばと言語造形
- 音楽家ツェルターに宛てた手紙から ゲーテ..
- 『神秘劇』(シュタイナー作)より
- 日本における聖き靈(ひ)の降り給ふ祭り(..
- 教員養成講座 受講生のことば
- アントロポゾフィーを分かち合う場
- アントロポゾフィーという練習の道
- ことばが甦るとき
- 破壊のかまど
- 冬、それは見えないものを考える季節
- 本を通して自由になるといふこと
- クリスマス・新嘗祭への備え 〜いのちの営..