2022年05月09日

一代の名優 耳を澄ます人 鈴木一博氏



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江戸時代の「学問」。とりわけ、私学。「わたくしの学問」。その学問をそれぞれ一身に背負つた学者たちの列伝。


小林秀雄の『考へるヒント』を読むたびに、その学びといふものに対するこころざしの系譜に、胸躍らされます。


幕府が官学として定めた朱子学への批判を、どこの組織にも属さずに一身で体現した、儒学の中江藤樹、山鹿素行、伊藤仁斎、荻生徂徠、国学の契沖、賀茂真淵、本居宣長・・・。


彼らは、一代の名演技をもつて生きた名優たち、私学の化身でした。


―――――
勝負は、文字通り、ただ、
読みの深さといふ事で決まつたのである。
彼等の思想獲得の経緯には、
団十郎や藤十郎が、
ただ型に精通し、
その極まるところで型を破つて、
抜群の技を得たのと同じ趣がある。
彼等の学問は、
渾身の技であつた。
(小林秀雄『学問』より)
――――――


ここで、わたくしの師匠である鈴木一博氏のことについて述べたく思ひました。


小林秀雄と同じく、鈴木さんも、いはゆるアカデミックな学、大学といふ制度や体制に守られた、近代諸科学の知の体系から匂つて来る、「毒」「臭さ」「害」「さかしら」に対して、闘つた人であつたやうに感じてゐます。


それは、孤独な闘ひでありました。


江戸の私学者たちが、幕府お達しの官学・朱子学に、敢然と抗してひとり立つたやうにです。


わたしにとつて、鈴木一博氏はまさに一代の名優でありました。


アントロポゾフィーなる、いはゆる「輸入物の」学問を、権威に寄りかかることや、大御所と言はれてゐる者たちのことばなどに一切関はらず、己れの身ひとつで受け止め、噛み砕き、考へ、感じ、己れのことばに鋳直した、その技たるや、惚れ惚れとするものでした。


そこでは、見事に、アントロポゾフィーが、「鈴木一博学」になつてゐました。


誤解を招く言ひ方かもしれませんが、それでいいのです。いや、さうでなければならないのです。


学問といふものは、その学問をする人の全体重がかかつてゐなければ、なんら用のないものです。


どんな鈍物にでも分かるやうに、平均化され、標準化され、一般化されたものでは、人のこころの糧になることは決してありません。


汲んでも汲んでも汲みつくしえない深みを湛えた、一世一代の仕事なのです。


――――――
僕は、(宣長の)さういふ思想は
現代では非常に判りにくいのぢやないかと思ふ。
美しい形を見るよりも先づ、
それを現代流に解釈する、
自己流に解釈する、
所謂解釈だらけの世の中には、
『古事記傳』の底を流れてゐる、
聞こえる人には殆ど音を立てて流れてゐるやうな
本当の強い宣長の精神は
判りにくいのぢやないかと思ひます。
(小林秀雄『歴史の魂』より)
―――――


本居宣長や小林秀雄、そして鈴木一博さんが闘つてゐたのは、解釈だらけのたくさんのことばと頭の群れたち、「さかしら」や「からごころ」をもつての学問です。


ものものしく聴こえてくる、対象そのものの声に耳を澄ます者だけが聴くことのできる精神の美しいすがた、しらべ。それがどれほど生命に満ちた豊かなものか。


そのことを鈴木さんは、アントロポゾフィーを通して、わたしに伝へようとしてくれました。





posted by koji at 23:25 | 大阪 ☔ | Comment(0) | アントロポゾフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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