2022年05月01日

こころのこよみ(第3週) 〜「語る」とは「聴く」こと〜



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世のすべてに語りかける、

己れを忘れ、

かつ、己れのおほもとを肝に銘じながら、

人の育ちゆく<わたし>が、語りかける。

「あなたの内に、わたしは解き放たれる、
 
 わたし自身であることの鎖から。

 わたしはまことわたしたるところを解き明かすのだ」



Es spricht zum Weltenall,
Sich selbst vergessend 
Und seines Urstands eingedenk,
Des Menschen wachsend Ich:
In dir befreiend mich
Aus meiner Eigenheiten Fessel,
Ergründe ich mein echtes Wesen.



「語る」とは、「聴く」ことである。


そのことが、言語造形をしてゐるとリアルに感じられてくる。


語り手みづからが聴き手となること。
 

頭で考へないで、聴き耳を立てながら、語るやうにしていく。ひらめきが語りを導いてくれるまで練習する。


「ひらめき」とは、語り手の己れが空つぽになり、その空つぽになつたところに流れ込んでくる「ことばの精神」。


それはまるで、からだにまで流れ込んでくる生きる力のやうだ。


その「ひらめき」「ことばの精神」は、聴き耳を立てるかのやうにして待つことによつて、語り手に降りてくる。


「語る」とき、自分が、かう語りたい、ああ語りたい、といふことよりも、「ことばといふもの」「ことばの精神」に、耳を傾け、接近し、沿つていきつつ語る。


己れを忘れて、かつ、己れのおほもと(ことばの精神)を頼りにしながら、語り、語り合ふことができる。


そのやうに、語り手が、「ことばの精神」に、聴き耳を立てながら語ることによつて、聴き手も「ことばの精神」に聴き耳を立てる。 


その「ことばの精神」と親しくなりゆくほどに、語り手、聴き手、双方の内なる<わたし>が育ちゆく。


だから、今週の「ことばのこよみ」での、「世のすべてに語りかける」とは、世のすべてから流れてくる「ことばの精神」に耳を傾けることでもある。


そのときに流れ込んでくる「ものものしい精神」「ありありとした精神」を感じることによつて、わたしは解き放たれる。みづからにこだわつてゐたところから解き放たれる。


だから、たとへば、「他者に語りかける」時には、こちらから必ずしもことばを出さなくてもよく、むしろ、「他者をよく観る、他者の声に聴き耳を立てる」といふこと。


そのやうな「語り合ひ」「聴き合ひ」においてこそ、人は、みづからを知りゆく。


「ああ、さうか、さうだつたのか!」といふやうな、ものごとについての、他者についての、みづからについての、解き明かしが訪れる。


互ひがよき聴き手であるときほど、対話が楽しくなり、豊かなものになる。


特に、この季節、自然といふものにまなざしを注ぐことによつて、聴き耳を立てることによつて、他者をよく観ることによつて、他者のことばに聴き耳を立てることによつて、自然と対話しながら、他者と対話しながら、わたしは、わたし自身であることの鎖から解き放たれる。


そして、わたしは、まことわたしたるところを解き明かしていく。


芽吹き、花開くものたちに、たつぷりと沿ふ喜びを積極的に見いだしていきたい。

 


世のすべてに語りかける、
己れを忘れ、
かつ、己れのおほもとを肝に銘じながら、
人の育ちゆく<わたし>が、語りかける。
「あなたの内に、わたしは解き放たれる、
 わたし自身であることの鎖から。
 わたしはまことわたしたるところを解き明かすのだ」





posted by koji at 10:57 | 大阪 ☔ | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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