昨夜、実家の母も含めて、家族五人で外食をしました。家族揃つて外食を食べに行くのは我が家では年に二、三回で、だからこそ、特別感があつてとても楽しいひとときなのです。
昨夜はとりわけ、もうすぐ17歳と14歳になる娘たちがとてもよく話をしてくれました。自分たちが考えてゐること、感じてゐることを、丁寧に真つ直ぐに活き活きとことばにしてくれました。
他のお客さんもたくさんゐるある種の公の場で、ばあばもゐるし、当然家庭とはずいぶんと違ふ雰囲気が、彼女たちのこころと口を開かせてくれてゐるのだなあ、と思ひながら、彼女たちのこころとことばに耳を澄ませてゐました。
また、年齢相応の考へる力が育つてゐて、自分自身の考へと大人たちの考へとを突き合わせてみたい、ことばのやりとりを通して互ひに敬ひつつ対話することの醍醐味を感覚してみたい、そんな欲求が十代の人にはあるのですね。
話題は、やはり、いまの「はやり病」から「麻巣苦」のこと、「枠珍接種」のことなど、若い人にとつてこの社会といふところがいかに、いま、おかしなことになつてゐるかといふことに関して、様々な考へ、思ひを分かち合つたのでした。
そして、いま、わたしが、人として、親として、内に保ちたいことは、「光はつねに闇より強い」といふことです。
季節外れのものの言ひ方になりますが、いま、わたしたちは皆、大いなるクリスマス、真冬の時、天の岩戸開きの時を迎へつつあると感じてゐます。
闇を闇としてしつかりと見据ゑるからこそ、ひとりの人として内において光を毎日迎へる練習をすること。内なるお祭りを毎日すること。
そのやうなことを娘たちには話しませんが、きつと、長い時の中で感じてくれることだと思つてゐます。
【断想の最新記事】