2022年04月19日
仕合はせ(カルマ)といふもの
わたし自身、確か、大学を卒業する間際に、友人が貸してくれた西川隆範氏による『シュタイナー思想入門』に強烈に惹きつけられた思ひ出があります。しかし、その一冊を読んだきり、あとは就職先での仕事に身もこころも完全に没入せざるを得なくなり、シュタイナーのことを忘れてしまつてゐました。
しかし、会社を辞め、アフリカで一年間過ごした後、28歳の時に、ある人からの紹介で、アントロポゾフィー(ルードルフ・シュタイナーから生まれた学問)に出会つたのですが、その時の感情は、およそ、次のやうなものでした。
「これだ。これこそ、俺が求めてゐたものだ。そして、俺はずつと、ずつと、昔から(この人生の前から)、これを知つてゐた」
不思議と言へば不思議な感情です。しかし、その感情に突き動かされるやうに、東京の新宿に引つ越して、独り暮らしをしながら、当時、高田馬場にあつた大人の学び場「ルドルフ・シュタイナーハウス」にいそいそとほぼ毎日通ひ始めたのでした。
そして、さらに不思議だつたのは、シュタイナーハウスに通ひ始めて、すぐに、鈴木一博さんが教へてをられる「言語造形」といふ、聞いたこともない名を持つ芸術のクラスに初めて参加させてもらつた時に、ふたたび、アントロポゾフィーに出会つた時以上の不思議な感覚に見舞はれたのでした。
その時、確か、イソップ物語を語ることをさせてもらつたのですが、物語を声に出して人の前で読むなどといふことは、おそらく小学生か中学生の頃以来だつたのにもかかはらず、その時わたしが感じたのは、またしても、次のやうな不思議な感情でした。
「これはずつと、ずつと、以前に(この人生の前から)してゐたことじゃないか。俺にはなぜか馴染みのものだ。俺は、この芸術を俺の仕事にする」
そして、その後も、鈴木さんといふ先生に手取り足取り教へてもらつてゐる、ある瞬間に、「この情景は、前に観たことがある」といふ、いはゆる、「デジャブ」といふのでせうか、不思議な感覚にたびたび見舞はれました。
そのことを、そのとき、そのときに、鈴木さんに打ち明けると、「さうなんだよ。さうなんだよな」としか仰られませんでした。
つれづれと個人的なことを書いてしまひました。
精神の学び舎は、この地上にありましたし、いまも、わたしはそれを創り続けようとしてゐますが、そもそもは、生まれる前にあつたのではないか、といふ「おぼろな感覚」のもとに書いてしまひました。
(『こころのこよみ 第一週』参照 https://www.facebook.com/.../a.32984430.../8054095937949255/)
男女の仲ではないですが、「縁は異なもの味なもの」ですね。
他の方は、シュタイナーといふ人やアントロポゾフィーといふ学、または、そこから生まれた芸術実践、社会実践に出会つた時に、直観としてどのやうなことを感じられただらうか・・・。そんなことを、ふと、思ひました。
なぜなら、シュタイナーこそ、そのやうな「縁」についての深い考察をしてくれてゐるのですから。
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