2022年03月15日

源氏物語を娘と共に



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去年2021年の秋のはじめごろから次女と一緒に家で、『源氏物語』を、紫式部の原文と昭和の文人・円地文子の現代語訳で読み続けてゐます。

学校とは別に、ひとりの大人が(親ですが・・・)若い人に何を与へることができるだらうと下手に考へてゐたのですが、やはり、自分自身が楽しめることでないと、継続的にかういふことはできないことに気づき、次女とそんな時間を持ち続けてゐます。

次女自身は、さほど、まだ、この物語に思ひ入れは持ててゐないと思ひます。しかし、ひとりの大人が(父ですが・・・)惚れ込んでゐるものを、できるならば、押しつけがましくなく、若い人に紹介できるならば、それもまたいいのではないかと・・・。のちのち、彼女自身の人生における成熟の中で、この古典への改めての見識と感情が生まれて来るのではないかと・・・。

光源氏が継母である藤壺の宮と密かに、かつ、これ以上ない情熱をもつて通じてしまふところなどは、わたし自身最も感極まるところでありながらも、思春期の娘とどのやうに分かち合へるのか、定かではないのですが、模索しつつ(笑)、読み進めてゐます。

文学を通し、芸術を通し、こころとこころの繋がりを家族の中でも創つてゆくことができたら、さう希つてゐるのです。

なぜなら、家族といふものも、時間と共にありやうが移り変はつてゆき、そのことへの意識がお留守になり、ほったらかしにしておくと、つひつひ、家庭が個人主義者と個人主義者がただ寄り集まつてゐるだけの仮の場になり果ててしまふことへの危惧があるからかもしれません。

ひとつの家庭だけでなく、ひとつの地域共同体も、ひとつの国も、そのやうなひとりひとりの共同体に対する意識的な働きかけがあつて、初めて共同体として甦る。さう思ふんです。

何ができるかなあ・・・。





posted by koji at 13:51 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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