日本の昔からの子どもへの教育方法。それは、「一人前にものが言へるやうにする」といふものでした。そして、それは、「しつかりと人のことばを聴き取ることができる」ことと表裏一体のものでした。
つまり、聴きつつ話す、話しつつ聴く、その力を養ふべく、国語教育が学校などが無い時代に盛んに行はれてゐたのです。
わたしたちアントロポゾフィーハウスは、そのやうな我が国ならではの文化・歴史におけることばへの深い見識、ことばへの芸術的な取り組みを礎にもつ教育を、これからの時代に新しく芽吹かせて行くことを、ひとつの使命としてゐます。
シュタイナー教育の我が国における独自の展開として、この国語教育をすべての教育の根底に据ゑるものを、わたしたちアントロポゾフィーハウスも準備して行きたいのです。
日本のことば、国語への確かな見識を基にもつ教員養成の必要性から、その実現を考へ続けてゐます。
その養成は、いまだ日本にはほんの少ししかないシュタイナー学校での実践を超えて、あらゆる教育現場における根底的なこととして必要不可欠なものを提示していく使命を持つものです。
「国語への確かな見識」と書きましたが、それは、子どもへの教育をする人が、言語学や言語哲学を学ぶといふことでは全くありません。
そのやうな机上のスタディーではなく、長い時に亘つて読み継がれてゐる、ことばの芸術作品を身のまるごとをもつてみづから奏でてみることによつて生きられる「ことばの感官」の育みから授かる見識のことを言つてゐます。
つまり、言語造形とオイリュトミーから稼がれる精神の手応へこそが、教員養成に必要なのです。
だつて、すべての授業は、教師のことばで組み立てられ、織りなされてゐるのですから。
ことばを生きる。そこにアントロポゾフィーの営みの中心があるやうに思ひますし、ひとりの人が、みづから、さう生きたい、さう生きるのだ、とこころを決めることは、世に少なくない働きをもたらすやうに思ひます。
【アントロポゾフィーの最新記事】
- 理想をことばに鋳直すお祭り ミカエルのお..
- エーテルの世を描いている古事記
- 我がこころのこよみ
- 「分かる」の深まり
- ヨハネの祭り 夏、地を踏みつつ天へと羽ば..
- 夏至考
- 幼な子の夢見る意識を守ること
- メディテーションのことばと言語造形
- 音楽家ツェルターに宛てた手紙から ゲーテ..
- 『神秘劇』(シュタイナー作)より
- 日本における聖き靈(ひ)の降り給ふ祭り(..
- 教員養成講座 受講生のことば
- アントロポゾフィーを分かち合う場
- アントロポゾフィーという練習の道
- ことばが甦るとき
- 破壊のかまど
- 冬、それは見えないものを考える季節
- 本を通して自由になるといふこと
- クリスマス・新嘗祭への備え 〜いのちの営..
- むすんでひらいて