2021年10月15日

夜明け



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ものごとを考へるきつかけは、やはり、痛みや苦しみに触れるところからではないでせうか。


人は、どれほど、幸ひを求めて生きようとしましても、その人の成長に必要な痛みならば、必ずそれはやつてくる。そして、その痛みはその人に何かを教へようとしてゐる。


しかし、その痛みや苦しみが何をわたしに教へようとしてゐるのかと、その人がみづから問ひを立てなければ、その痛みや苦しみは消化されることなく、繰り返し繰り返しその人を訪れる。


問ひを立てるといふ内なる行為は、考へるといふ内なる行為によつて起こされます。


少し話は別のところへ赴きますが、ここ数十年、感じ続けてゐることがあります。


それは、男であること、肉体的なことよりもより深い性質としての男性性といふ、人におけるある側面、表現が否定される場面に出くわすことが多いといふことなのです・・・。


男性性とは、昔流のことばで言へば、「男らしいあり方」となるでせうか。もしくは、肉体のあり方から離れ、より抽象的に表現するならば、「優れてゐる」「強い」「大きい」「立派な」「偉い」「緊張感」「一頭地、抜きんでてゐる」「理想的な」「高みを目指す」「すること」「創ること」「なしとげていくこと」「変へていくこと」、そんなことばで表現されてゐた「何か」だと感じますが、いかがでせうか。


しかし、わたしは、この言ひ方が指し示さうとしてゐるものが否定されてゐるのでは、実はなく、男性性の不健康なあり方が、人々に嫌悪されてゐる、さう思はれてならないのです。


上にあげた「ことば」がすべて、他者を抑圧する方向へと人を陥れる向きをいつしか持つてしまつた。人の自由を抑圧する向き、人の存在を抑圧する向き、人の精神を抑圧する向きを、上にあげた男性性を表す「ことば」といふ「ことば」が持つやうになつてしまつた。なぜ、さうなつてしまつたのかを書かうとすれば、一冊の本になつてしまふのかもしれません。


人は、いま、その不健康な向きを嫌悪します。激しいと言つてもいいほどの怒りをもつて嫌悪します。


しかし、だからと言ひましても、一方の女性性といふものだけで、世は出来てゐるのではないがゆゑに、世のまるごとが傾き、崩れゆかうとしてゐる。


その女性性といふものを言はうとするなら、これも昔流の言ひ方ですが、「女らしいあり方」となるでせうか。このことばは、「優しさ」「繊細さ」「柔らかさ」「細やかさ」「ふくよかさ」「うちとけること」「リラックス」「あること」「あるがまま」「護ること」「変はらないこと」などなどを指し示すやうに思はれます。


わたしは、あへて、男性性といふものを「精神」と捉へます。そして、女性性といふものを「こころ」と捉へます。


どちらも、人において、なくてはならないものです。


精神とは、天からの光といふやうにイメージされます。叡智や高い知識、イデー、理念、理想です。


一方、こころとは、そもそも、天からの光を受け止め、宿し、孕み、産みなし、育てる、大地の豊かさ、そのやうにイメージされます。


天と地といふふたつの健やかなあり方が内において重なり合つて、その人はその人になりゆく。


問ひを立て、天からの光を降ろす、それがそもそもの男性性の健やかなあり方ではないだらうか。


その天からの光、天からの答へを待ち望み、そして降りて来た光を受け止め、孕み、産みなし、育む、それがそもそもの女性性の健やかなあり方ではないだらうか。


そのふたつのあり方、働き方は、ひとりの人の内側に、そもそもあるものですし、育ちゆくものです。


しかし、現代は、喜びだけではなく、すべての人が、天と地の間に立たうとするみづからといふ存在を意識せざるをえないがゆゑの、痛みや苦しみを負つてゐる時代、意識のこころの時代です。


いや、むしろ、痛みや苦しみを通してこそ、こころを豊かに、成長させることができる時代に生きてゐはしないでせうか。


なぜならば、痛みや苦しみが人生に訪れることによつて、人は、初めて、この世に生まれて来たこと、いま生きてゐること、死にゆくことの「意味」を問ふからです。


楽しみや幸せや快楽だけに包まれてゐますと(それらは、とても、とても、大切なことであり、天からの恩寵でもありますが、そもそも、それのみの人生はありえません)、人は、決して、問ひません。


痛みや苦しみ、そして死を避けて避けて避け続けた果てに、わたしたちは何を生きるのでせうか。


その痛みや苦しみを恐れずに、勇気を持つて問ひを立て続けることが、男性性のそもそも持つてゐる本当の健やかな仕事ではないでせうか。


問ひを立てればこそ、その痛みや苦しみこそが、思ひもよらぬ秘密を明かすやうになります。


そして、その明かされる秘密こそが、その人のこころが稼ぐ、その人の理想です。


その理想は、痛みや苦しみを潜り抜けてこそ得られる宝物ではないでせうか。


夜明け前の闇が最も暗いやうに、わたしたちが、いま、闇を見ざるをえないのならば、勇気を持つてその闇をあるがままに迎へ、闇であること、そして、闇があることそのものを認めること、闇が教へてくれようとしてゐることに対して、勇気を持つて問ひを立てることをするならば、きつと、思ひもよらない秘密が明かされる。


夜明けが来ます。





※写真は、なかむら よしこさんが撮られた青森県田子町(たっこまち)の大黒森の丘からの夜明けの光景です。


posted by koji at 12:11 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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