畏(かしこ)くも、わたしはいま、わたしを取り戻し、
そして輝きつつ、内なる光を拡げゆく、
場と時の闇の中へと。
眠りへと自然がせきたてられるとき、
こころの深みよ、目覚めよ、
そして目覚めつつ、陽のたぎりを担ひゆけ、
寒い冬のさなかへと。
Ich darf nun mir gehören
Und leuchtend breiten Innenlicht
In Raumes- und in Zeitenfinsternis.
Zum Schlafe drangt naturlich Wesen,
Der Seele Tiefen sollen wachen
Und wachend tragen Sonnengluten
In kalte Winterfluten.
陽の光と熱を浴びながら歩き回る夏の彷徨が終はつて、静かに立ち止まり、内なるこころの光と熱を生きていく秋が始まつてゐる。
内なるこころの光と熱によつて、こころが目覚めゆくといふこと。
「わたしがわたしである」ことに目覚めゆくといふこと。
そして、こころが生きる情熱を感じ始めるといふこと。
これほど、頼りになるものがあるだらうか。
かうして、わたしたちは、秋から冬にかけて、たとへ外の世が生命力を失つて行き、枯れて行つても、内なるこころは、きつと、「ひとりのわたし」として、活き活きと目覚めゆくことができる。
夏にいただいた陽の光と熱の大いなる働きを、内なるこころの光と熱としてゆく。
そして、来たる冬の寒さのさなかへと意欲的にそのこころの光と熱を注ぎ込んでゆくことができる。
光と熱。
それはいまやわたしのこころの内から発しようとしてゐる。
そしてこれからやつてくる冬の闇と寒さとのコントラストを際立たせようとしてゐる。
陽の光と熱と共にあの夏をからだ一杯で生きたからこそ、この秋があるのだ。そして、この秋が、冬へと引き続いていく。
そのやうな季節のつながり、くりなし、なりかはりをていねいに、確かに、感じること。それが、内なるこころのつながり、くりなし、なりかはりをも自覚することへと繋がつていく。
四季を生きること、一年のいのちを生きることが、みづからを知ることへとわたしを導く。
この『こころのこよみ』に沿ひつつ、四季それぞれに息づいてゐる「ことば」を聴く。
ならば、それらの「ことば」が、生命ある連続としてこころにしづしづと流れてくる。
夏、外なる光と熱の中にわたしは溶け込み、ある意味、わたしはわたしを見失つてゐた。
秋、わたしはわたしを取り戻し、萌してゐた希みが羽を拡げようとしてゐる。
さあ、これからが、稔りの季節、粛々とした仕事の季節だ。
畏(かしこ)くも、わたしはいま、わたしを取り戻し、
そして輝きつつ、内なる光を拡げゆく、
場と時の闇の中へと。
眠りへと自然がせきたてられるとき、
こころの深みよ、目覚めよ、
そして目覚めつつ、陽のたぎりを担ひゆけ、
寒い冬のさなかへと。
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