2021年09月06日

行はれたし 精神の想ひ起こしを






わたしたちは、未来に向かつて、いまを生きてゐますね。


自分が抱くよき想ひやアイデアが実現することをひたすら願ふ人もゐる。


一方、他人が考へ、想つたことをそのまま受け入れ、押し付けられるがままに、その考へや想ひが実現しないやうに、ひたすら恐れつつ生きてゐる人もゐる。


考へが実現するやうに希ひながら生きる人。


一方、考へが実現しないやうに恐れながら生きる人。


わたしは、できうるならば、前者でありたい。


そのために、みづから抱く考へをみづからよく選びたいと思ひます。


そして、わたしみづからによつて選ばれるその考へは、実は、わたしの過去からやつて来てゐるのですね。


未来を創り上げていく上で、考へることは欠かせない。しかし、その考へとは、過去からやつて来るもの。


よつて、上手に、過去を想ひ起こすといふことが、過去と未来を繋ぎつつ、今を健やかに生きる上で、とても大切なことであり、それは日々のこころの練習なのです。


過去を上手に想ひ起こすために、昔の人は、よく、昔話を子どもたちに語り聴かせてゐました。


昔話や伝説や神話を語り、それを聴くといふことは、すべて、過去を上手に、芸術的に、想ひ起こすことに他なりませんでした。


自分はひとりで生きてゐるのではないこと、大いなるものに守られ育まれて生かされて来たこと、そのやうな「むかし、むかし」「天地の初発(あめつちのはじめ)」から続く、世と〈わたし〉との繋がりを想ひ起こすことでした。


その精神の想ひ起こしによつて、人は、未来を神々と共に創りゆくことができる、健やかな今を稼いでゐたのです。


2021年を生きてゐるわたしたちにとつて、いまといふ時代は、その想ひ起こしを、誰も外からは与へてくれない時代です。そのやうなほのぼのとこころもからだも暖まり、元気が溢れて来るやうな想ひ出を持つこと、育むことが難しい時代です。


だからこそ、その想ひ起こしを意識的に、積極的に、みづから始めようと念ひます。


アントロポゾフィー運動とは、その想ひ起こしを積極的に人に促さうとする精神の運動です。


アントロポゾフィーからの語り部の養成。それは、深い意味での「教員養成」なのです。


「教員」とは、ひとりの語りかける人のことです。


わたしも、ひとりの人として、考へを実現して行きたいと念ひます。


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