2021年08月26日

教へる人になりゆく・・・アントロポゾフィーハウスの仕事として






「シュタイナー教員養成」の仕事、それは、これまでに日本においても三十年近くにわたりなされて来た仕事であり、その仕事の継続と成果に多大なる尊崇の念ひを抱きます。


そして、これからアントロポゾフィーハウスが担つて行くであらう仕事として、なすべき仕事をした後の数年後になりますが、新しく「シュタイナー教育に向けての教員養成」を織りなして行くといふ仕事があります。


より精確に言ふと、「アントロポゾフィーから人の教育を荷はうとするこころざしの養成」といふ仕事です。


その仕事によつて促されるこころざしとは何かと言ふと、子どもへの教育、大人への教育、いずれにおいても、ひとりその人が、みづから学び続けつつ、人としてたいせつなことを教へる人になりゆくといふことなのです。


「学ぶ」といふことは、「教へる」人になりゆくことです。それが、「人」であることのひとつの証です。


職業として教師であるか否かにかかはらず、子を持つ親であるか否かにかかはらず、「何かたいせつなこと」を教へ、伝へる人になりゆくこと、それが「人」になりゆくといふことではないでせうか。


ですので、「教員養成」とは、子どもへの教育ばかりではなく、人として人への教育を荷ふ人を育てることを言ひます。


それは、学ぶその人自身が、学ぶことを通して、教へるといふことを通して、ますます、その人になつてゆくといふことです。


「シュタイナー教育はかうあるべき、あああるべき」「シュタイナーといふ看板を掲げるなら、少なくとも、ここはクリアーしておかねば」「どこかからのお墨付きがなければ、シュタイナー教育などと名乗ることは許されない」といふやうな考へや思ひ込みや決めつけから、学ぶ人が自由になり、本当に大切なこと、本質的なことを己れのものにするそのきつかけを分かち合ふことです。


かういふものの言ひ方は、ややもすると、誤解を招きがちな言ひ方でもあります。


確かに、資格を得るために、人は一生懸命学びますので、その資格取得が、ひとつの技量の証ともなりうる訳ですが、しかし、人の仕事といふものは、卒業証書や肩書などによつてその質を担保されるものでは全くないこと、それは、世においておのづから分かることです。


その、おのづから分かることを、暗黙の了解としてゐた20世紀から、明確に共有される意識として持つていい21世紀に入つて、すでに20年以上が経ちます。


だからこそ、アントロポゾフィーの学びをもつて、より一層、まこと、その本質に根差したスタイルで、深く、確かに、粛々と行はれる教員養成の場を創る、その明確な意識をもつ、といふことなのです。


そもそも、「学ぶ」「分かる」とは、どういふことなのか。そして、その意味を踏まえた上で、人が人へとなりゆくために、「教へる」といふことの大切さを知ることのいかなるかを、わたしたちは明らかに意識しつつ、仕事を進めて行きたいと考へてゐます。


この教員養成を経た人たちが、みづからの考へる力と観る力を基の元手にして、シュタイナー学校と名付けられてゐるところであると否とに関はらず、積極的に、人を育て、育むといふ仕事に邁進して行くことを促すことができるやうに、わたしたちアントロポゾフィーハウスは、この仕事に意を注いで行きたいと思ひます。


また、わたし諏訪ひとりでさせていただいてゐるこのオンラインクラスも、その「教員養成」に向けての、ひとつのなすべき仕事なのです。このオンラインクラスそのものが、すでに、学ぶ人みづからが自由へと育ちゆく教員養成の場であります。


※聴き手となつて下さつた鈴木さん、本当にいつもありがたうございます。


諏訪耕志






posted by koji at 14:01 | 大阪 ☁ | Comment(0) | アントロポゾフィーハウス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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