2021年08月11日

論理とファンタジー


シュタイナーの本を読み始めて、何年になるのだらう・・・。とにかくも、ムズカシイ! しかし、その難しいものに、何度も何度も挑む意欲をわたしの内に育ててくれたのは、間違ひなくシュタイナーさん、その人なのです。


さうして、読み続けて来て、わたしがいちばん感じてゐるのは、その難しさの固い結び目は、必ず、解けるといふリアリティーなのです。その解けるといふこと、それは、分かる、といふことでもあります。


その「分かる」にいたるには、近道など決してなく、何度も何度も読み重ねることのみなのです。


さうして、頭における「分かる」から、心臓における「分かる」へ、そしてつひには腹と手足における「分かる」にいたる、そんな道筋が、このアントロポゾフィーの学びにはあります。「分かる」にも三つの次第があるのです。


その三つの次第を経るには、何日も、何週間も、何か月も、何年も、何十年も、もしくは、一生涯かかるのですね。時が必要なのです。


読書における、その時の積み重ねの内に、書かれてゐることをより論理的に辿ることができるやうになることと共に、一文一文、もしくは、一語一語に対して立ち上がつてくるファンタジーを感じられることも、読書の喜びなのです。


ファンタジーとは、目の前にないことを、目の前にあることから仕立ててゆくこころの力のことを言ひます。


それは、想像力とも訳されますが、創造力へと成長して行くものでもあるのです。


論理を見てとる力と創造力を掻き立ててゆく力。


このやうなご時世、そのふたつの力をますます育てて行きたい、さう念つてゐます。




posted by koji at 15:46 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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