海をお渡りになり、この国を護られた息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)が建てられた住吉大社(すみのえのおほやしろ)。
そして、海の神、竜宮の神であられる豊玉彦命(とよたまひこのみこと)、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)が祀られてゐる大海神社(おほわだつみのかみのやしろ)。
大阪に帰つて来て、「ただいま、帰りました」とご挨拶に。
住吉大社と大海神社は境を接してゐます。
この領域に一足でも踏み込むやいなや、特別な神々しい息吹きにまるごと包まれるやうな感覚をいつも必ず感じるのです。
海と密接な関はりにあるこれらの社は、やはり海の女神のもつかのやうな優しさとおほらかさ、そして同時に芯の強さをわたしに感じさせてくれるのです。
今日も、そこは、本当に、美しい場であり、美しい時が流れてゐました。
この美しさが、ずつと、二千年近く、いや、もつとでせう、人々によつて護られて来たのです。
ここに来るたびに念ふことですが、この聖らかな美しさが、子の代にも、孫の代にも、未来とこしへに続きますやうにとお祈りせずにはゐられません。
少なくとも、我々のご先祖様たちは、ずつと、この美しさを護り続けて来て下さつたのです。
わたしたち、令和に生きてゐる者のすることは何か、本当に、大切なことを考へ、話し合ひ、護つてゆかねばならないものを護るのだと、こころに決める必要がある。さう念ひました。
この地球の始まりから終はりまでの時の流れの真ん中にあるキリストといふ方のことが、アントロポゾフィーにおいては、学びの深みに流れてゐます。
そのキリストといふ神なる存在と、この日本に言ひ伝へられ、語り伝へられ、護られ続けてゐる神々の存在との関係は、到底、この地上の観点や学識などでは、分かりえないことです。
そのどこまでも尊いご関係は、わたしたちが高い世を知るにいたるとき、初めて、伺ひ知ることの許されることだと思ひます。
わたしたち令和の代に、アントロポゾフィーを学び、生きる者として大切にしていきたいことはこのこと。
まつすぐに立ち、両手を合はせて、お辞儀をしながら、意欲的に手足の働きをもつて、みづからよりも遥かに高い方々に対する「うやまひ」と「とうとび」そして「へりくだり」のこころもち・情を培ひつづけてゆくことです。
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