
今日は、京都にて、言語造形のクラスでしたが、わたしにとつても、深い発見ができた時間だつだのです。
北欧のメルヘン「屋根がチーズでできた家」と、グリムメルヘン「ヘンゼルとグレーテル」。
それぞれのお話は、とても内容が似てゐて、どちらも、兄と妹が年老いた女(魔女)の家におびき寄せられ、その老女に食べられさうになるのですが、最後は、どちらも、その老女を火の中に追ひやることができ、ふたりは逃げ延びることができたといふお話なのです。
しかし、生の声による語りを聴いてゐますと、ふたつのお話におけるそれぞれ異なる語り手のスタンスを打ち出すことで、それぞれのお話の魅力がより一層引き立つのでした。
北欧のメルヘン「屋根がチーズでできた家」の方は、老女の立場に語り手が立ち、ふたりの子どもを何としても食べてしまひたいといふ欲望が語り手の身振りによつて表されることで、そのお話が一層、陰影と、ユーモアと言つてもいいやうな表情に満ちた、魅力的なものになるのでした。
一方、グリムメルヘン「ヘンゼルとグレーテル」においては、老女を描く時に、できうる限り淡々と表現し、老女といふ存在が記号化するかのやうな描き方をするのですね。逆に、ふたりの子どものありやう、行ひのひとつひとつ、ことばが持つ表情を細やかに造形することで、このお話の持つ精神からの高貴さを深みから引き出すことができるのでした。
このそれぞれのメルヘンに潜んでゐる深みある味はひは、目で印刷された文字を読んでゐるだけでは、到底分かりえないものです。
同じ精神からのモチーフでも、受肉する地域、国、民の違ひによつて異なつてくる趣きの違ひ。
それを生の声をもつて表現し、味はつてゆく、ことばの芸術「言語造形」ならではの時間を持つことができました。
参加された方々とも語り合つたのですが、この一年半以上にも渡る非常事態においても、このやうな芸術を生きる時間を無くしてしまつてはならないといふこと。
むしろ、かういふ時だからこそ、精神からの文化活動に励むのだといふことを、感覚的に分かち合へたひとときでした。
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