ルードルフ・シュタイナーの『いかにして人が高い世を知るにいたるか』のはじめの方に、この密(ひめ)やかな学びの教へ手が守るべき掟(おきて)がふたつ、記されてあります。
ひとつめは、この密やかな学びを求める人には、惜しむことなく、学びを授けること。
ふたつめは、この密やかな学びを受けるための備へがいまだない人には、決して学びを授けてはいけないこと、授けることはできないこと。
このふたつの掟は、ふたつのやうで、実は、ひとつです。
この学びを受けられない人は、実は、「この学びを求めてゐない」といふことなのです。
必要であるのは、まこと、求めること。
ですので、深く精神において、学び手は、誰にも拒否されることはありません。
そして、この一冊の本こそが、この密やかな学びの師です。
さうであるからこそ、それは、読み手のまこと求めるこころのみが、その本を師となしうるのだといふこと。
しづかに、こころの耳を澄ましながら、一頁一頁、読み続けること。
それは、とても、しづかな行ひでありますが、しかし、熱く、求めること、門を叩きつづけることであります。
さうして、時が熟して来るにつれて、師であるこの本の一頁一頁、一文一文、ひとこと、ひとことが、実に優しく暖かい声で語りかけて来るやうになります。
このシュタイナーの書に限らず、本物の本といふものは、読み手に、この掟をもつて向き合はうとしてゐます。
子どもたちが本を読む人になりゆくには、傍にゐる大人自身が本を読む人であることが条件であり、ひとりひとりの大人が本物の本を求めることが、この世の社会の命綱です。
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