2021年07月17日

求めよ さらば与へられん



IMGP0130 (1).JPG



ルードルフ・シュタイナーの『いかにして人が高い世を知るにいたるか』のはじめの方に、この密(ひめ)やかな学びの教へ手が守るべき掟(おきて)がふたつ、記されてあります。


ひとつめは、この密やかな学びを求める人には、惜しむことなく、学びを授けること。


ふたつめは、この密やかな学びを受けるための備へがいまだない人には、決して学びを授けてはいけないこと、授けることはできないこと。


このふたつの掟は、ふたつのやうで、実は、ひとつです。


この学びを受けられない人は、実は、「この学びを求めてゐない」といふことなのです。


必要であるのは、まこと、求めること。


ですので、深く精神において、学び手は、誰にも拒否されることはありません。


そして、この一冊の本こそが、この密やかな学びの師です。


さうであるからこそ、それは、読み手のまこと求めるこころのみが、その本を師となしうるのだといふこと。


しづかに、こころの耳を澄ましながら、一頁一頁、読み続けること。


それは、とても、しづかな行ひでありますが、しかし、熱く、求めること、門を叩きつづけることであります。


さうして、時が熟して来るにつれて、師であるこの本の一頁一頁、一文一文、ひとこと、ひとことが、実に優しく暖かい声で語りかけて来るやうになります。


このシュタイナーの書に限らず、本物の本といふものは、読み手に、この掟をもつて向き合はうとしてゐます。


子どもたちが本を読む人になりゆくには、傍にゐる大人自身が本を読む人であることが条件であり、ひとりひとりの大人が本物の本を求めることが、この世の社会の命綱です。





posted by koji at 16:40 | 大阪 ☀ | Comment(0) | アントロポゾフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。