
今朝4時から5時過ぎまでの大阪の物凄い稲光と雷鳴と大雨。
真上の空を何十回とつんざくひつきりなしの稲光と怒涛のやうな雷鳴に、おそらく、多くの人は眠れなかつたと思ひます。
不安と恐怖と緊張。そんな情に包まれたのでした。これほどまでのものは、わたしはおそらく生まれて初めてでした。
それらの情を覚えると共に、布団の中で、次のやうなことに思ひが延びて行きました。
外の世では、いま、これまでの常識では測り知れないことが進行してゐる。
今朝のやうに、自然は時に、人に恐怖や畏怖の念ひを与へ、わたしたちに人智では太刀打ちできない無力感を味ははせるけれど、そのやうな無力感を人為的に人に植え付けようとしてゐる、ある種の悪しき働きがある。
この空からの雄叫びは、このいまの世のありやうの何らかの顕れのやうだ。
しかし、いま、内の世、すなはち、自分自身のこころにおいては、自由が息づく領域を稼がせてもらへてゐることが、本当にありがたいと思へる。
これからの激しく動く外の世と、釣り合ひを取るべく、安らかで確かな内の世(こころと精神の世)をしつかりと守り、育んで行かう。
それこそが、わたしにとつて、最もたいせつな仕事。
恐れと不安と無力感に、きつと、人は打ち勝つことができる。
それは、内なる安らかさの育みにかかつてゐる。