2021年07月07日

「ことばの感官(言語感覚)」について(十二の感官論より)



若き日のミヒャエル・エンデ


これまで、シュタイナーのいはゆる「十二感覚論」の中の言語感覚については、寡聞にしてシュタイナー自身が詳しく説いてゐるものを知らず、他の人によつて書かれてゐるいくつかの解説書などを読んでも、どれも、ぴんと来なかつた、釈然としなかつたのです。


他者が発することばを聴くとき、感覚できるものとは、何でせう。


それは、ことばの意味ではありません。


では、ことばから、わたしたちは何を感覚してゐるのでせう。


情報を伝達するための手段としてのみ、ことばが使はれるのだといふ認識が染みついてしまつた現代においては、この「ことばの感官」を意識し、理解することはむづかしいやうです。


それは、言語造形をすることによつて、より明らかに、より深く、よりリアルに感覚することができます。


その感覚を人にもたらすのは、聴く感官(聴覚)ではありません。ことばの感官(言語感覚)です。


わたしたちは、光を目といふ感官で感覚するやうに、響きを耳といふ感官で感覚するやうに、人から発せられたことばを「ことばの感官」によつて感覚してゐます。


ここでは、言語造形をする者として培ひ続けてゐるこの感官について、述べさせてもらつてゐます。


どうぞ、お聴きください。



※感官(Sinn)とは、人に備はつてゐる目や耳などの器官と機能(働き)を指します。一方、感覚(Empfindung)とは、その感官によつて、迎へられ、見いだされるものを言ひます。シュタイナーは、明確に、そのふたつのことばを使ひ分けてゐます。ここでは、感覚を迎へ、見いだすことを、「感覚する」といふ言ひ方もしてゐます。



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