京都で、鈴村英理子さん率いるダンスカンパニーチチカカコの第一回公演『ともしび』。
「チチカカコ」は、乳飲み子を抱えたお母さんたちが始めたダンスカンパニーです。
蒸し暑い京都の街をくぐり抜けて、会場の京都芸術センターに辿り着きました。
しかし、4〜5歳の幼な子たち、小学生たち、母親たちが、舞台の上に現れ、ドラムの生演奏と共に公演が始まるやいなや、一気に、観てゐるわたしのいのちが甦つて来ます。
舞台の上で、幼い子どもたちから、遊びといふものの本質、遊びの遊びたるところが、顕れて来るのです。
踊らされてゐるのではなく、子どもたちの足元から、舞台の床から、大地から、「動きたい」「踊りたい」「遊びたい」、欲する力が沸き上がつて来るその瞬間。
その日が、三連続公演の最後だつたこともあつてか、幼な子も疲れてゐて当然、当たり前のやうに舞台の上で、動かなくなつたり、ふてくされてしまふ子もゐます。
しかし、見事にダンスとして造形された母親たちの動きの中で、母の背におんぶされ、腕に抱かれ、胸と胸を合はせ、あるとき、まるで、曇り空からお陽さまの光が差し込んできた時のやうに、元気一杯の遊びの精神が、喜びの微笑みが、再び、その子の全身に甦る。
それは、日常の中で、幼い子どもたちの様子として、よく見ることのできる光景ですが、その意図せぬあるがままの幼い子どものありやうが、見事に設へられた芸術の中で、浮き彫りにされたのです。
「芸術とは、高められた自然である」といふことを、目の当たりにした時、観てゐるわたしのこころが、なぜか激しく脈打ち始め、涙が溢れ出て来たのでした。
そして、母親の方々、おひとりおひとりの顔の表情、瞳の輝き、腕の動きが、とても美しく輝いてゐます。
母であること、女であることのふくよかさ、美しさと共に、おのおのひとりの人であることの輝き。
ダンスといふ芸術が引き出す愛のオーラの中で、幼な子たちと共に創り出す母なるものの精神をありありと観た稀有なる一時間でした。
また、HIDE さんによるドラムとパーカッション演奏。躍動に満ちつつ、繊細な、女性的でありつつ、深く太い男性性をもつ演奏。
その演奏が、この、母と子によつて生まれた新しい芸術を、舞台の上にすつくと立ち上がらせ、律動させ、時に鼓舞し、時に制御し、まるごとにいのちを吹き込んでゐたのです。
夏のはじめのひととき、この美しい、あまりに美しい公演を創り上げてくれた、幼な子たちとお母さんたち、スタッフの方々に、こころから感謝。
そして、このダンスカンパニーを率いてゐる英理子さんがもつてゐる精神に、脱帽なのです。
ありがたうございました。
京の夏のはじまりの一日(ひとひ)の出来事。忘れては想ひ起こし、忘れては想ひ起こす、そんな夢の中の星の輝きのやうな時間になるだらうなあ・・・。
その時は過ぎ去つて行つても、舞台芸術の魔法は、静かに、こころの奥底に流れ続けます。
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