
セザンヌ「大水浴」
わたしのからだの中に、こころと精神があるのではなく、からだを包んでゐるのがこころであり、そのこころを大きく超えて、世の隅々まで、世の果てまで広がり渡つてゐるのがわたしの精神です。
メディテーションの繰り返しによつて、そのことに実に親しむやうになります。
光の息遣ひによつて、そのことを実に感覚することができます。
言語造形といふ芸術によつても、そのことを生きることができます。
人は、からだを越えてこころを感じ得たとき、さらには、こころを越えて精神に触れ得たとき、みづからの桎梏から自由になり、愛と自由が流れてゐる精神の川にて、水浴びをすることができます。
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