昨日、父の日だといふことで、娘たちからバラの花束をもらひました。
父であることを毎日させてもらつてゐまして、つくづく感じ、考へることなのですが、思春期以降の若者にとつて、父といふ存在は「精神」を示しうるものなんだな、といふことです。
あくまでも「示し『うる』」なのですが・・・😅
精神とは、現代において、その人が求めなければ、決してその人を訪れないもの、訪れられないものであるといふことです。
父親とは、思春期以降の子どもたち、若い人たちが、こころから父親を求める時にこそ、彼らの前に現れ、彼らの内に働きかけうる存在である、さう感じるのです。
だから、彼らが求めてゐない時には、出る幕無し😅
それでいいのだなあ、と惟ふのです。
精神とは、その人が求めればこそ、その人を訪れ、その人を自由にするべく、働きかけるものです。
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