2021年06月05日

内なる安らかなひととき



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今朝も、また、内なる安らかなひとときから、一日が始まりました。


本当に、ありがたく、欠かせない、ひとときです。


以下の文章は、ルードルフ・シュタイナーの『いかにして人が高い世を知るにいたるか』の中の「内なる安らかさ」からのものを少し書き改めたものです。



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密(ひめ)やかに学びつつ、内なる安らかなひとときを生きる人が、みづからに、かう語る。


わたしは、あらんかぎりの力を尽くして、わたしの事柄をできるかぎりよくしたい。


わたしは、気後れのもとになりかねない考へを抑へる。


わたしは、まさに気後れのゆゑに、することがおざなりになること、とにかく、その気後れがよりよくすることにはつながらないのを知つてゐる。


そして、わたしには、生きるといふことに向けて、稔り多く、促しとなる考へが次から次へと及びくる。


それらの考へが、わたしを阻み、弱くしてゐた考へに取つて代はる。


わたしが生の波立ちのさなかで、みづからの生を確かに、しつかりと導きはじめる。


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仕事のための力の源は、いつも、この「内なる安らかなひととき」にあります。





posted by koji at 09:01 | 大阪 ☁ | Comment(0) | アントロポゾフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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