2021年05月21日

いまも飢ゑてゐる



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ザンジバルの家を訪ねて来た友人が持つてきた日本の雑誌を貪るやうに読んでゐる俺。



思ひ出すのですが、自分が27歳のとき、アフリカの各地をまる一年、転々としたあげく、インド洋に浮かぶザンジバル島で二ヶ月、独り暮らしをしたことがありました。


周りはスワヒリ語のみの毎日だつたのですが、そのとき、仮住まひをした一軒家に、なぜか、福沢諭吉の『文明論之概略』の文庫本が一冊置き去りになつてゐたのです。


以前に住んでゐた日本人が置いて行つたのでせう。


わたしは、とても、とても、日本語に飢ゑてゐましたから、その一冊を貪るやうに読みました。


そのときの感銘はとても衝撃的で、重層的で、わたしの何かを深く果てしなく満たしてくれたのでした。月並みな言ひ方ですが、乾いた喉に清水が流れ込むやうな感覚を覚え続けました。


あの、ザンジバル島での「福沢諭吉」読書体験が、日本語で生きていく上でのわたしにとつて決定的なものだつたと想ひ起こします。


そんな内なるアクティビティーを発動させるきつかけを与へてくれた若いころの旅。アフリカで、インド洋に浮かぶ島の上で、福沢諭吉といふのも、変な話ですが、仕合はせ(運命)を感じます。






posted by koji at 20:01 | 大阪 ☔ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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