2021年05月11日

稽古のあとのすがすがしさ



IMGP0005.JPG



昨日も言語造形のクラスをしてゐまして、芸術実践とは、まあ、なんと、「道」であらうことか、と汗を流しつつ皆でつぶやき合つたのでした。


ひとことで言へば、「楽じゃない」。


でも、なぜか、練習のあと、稽古のあと、すがすがしいこころもちになつてゐるのです。


作品作りをしてゐて、少しづつ、少しづつ、その作品に磨きをかけて行くわけですが、そのプロセスは、自分自身を研ぎ、磨き、練り、研いで行くプロセスでもあるのですね。


個人的な好き嫌ひの情や、恣意や、我が儘といつたエゴが、だんだん、落とされて行くのです。


ゲーテは旨く言つてくれてゐます。


「自然の頂きに置かれることで、人は、みづからの内に、ふたたびひとつの頂きを、きつと、生み出す。みづからとは、そのやうなまるごとの自然なのだ。あらゆる全きもの、徳に浸され、選び、運び、奏で、まことを呼び覚まし、遂に、芸術作品を創りだすまでみづからを高めて行くことによつて、人は、さういふ、まるごとのありやうにいたることができるのだ」(『ヴィンケルマン』より)


芸術実践を通してこそ、人は、まるごとの自然としてみづからを感覚するのです。


ひたすらに、美しいすがた、美しいかたちを求めて、みづからをこそ、磨いて行くのです。


そのとき、人は、求める人として、すでに、美しい。


さう感じます。


芸術実践も、また、ひとつの、高い世を知るにいたる密やかな細道なのです。




posted by koji at 13:28 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 言語造形 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。