2021年05月07日

自由を考える(自由の哲学)



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鵜呑みにするのでも、妄信するのでもなく、ひたすらに、自分自身の目で見て、自分自身の力で考へて、少しづつ判断を重ねて行きたいと、わたしは思ひます。


「見る」と「考へる」。


そのふたつを重ね合はせて、はじめて「知る」がなりたつ。


いま世界中で同時に起こつてゐること、その本当の危機は、コロナウイルスの蔓延でもなく、経済の逼迫でもなく、多くも多くの人がこのふたつの力を行使してゐないといふことにあるのではないでせうか。


誰かが流す映像、誰かが言ふことば、そこからの印象に自分自身が操作されてゐないかどうか。


多くの人にとつて、起こつてゐる出来事に対する判断をすることが難しいのではなく、社会的な関係性の中でどう振る舞へばいいのかをこころに決めることに困難を覚えてゐるといふことではないでせうか。


1894年にルドルフ・シュタイナーは著書『自由を考える(自由の哲学)』において、その「見る」と「考へる」を重ね合はせることが、自由への道を歩み出す、その第一歩なのだといふことを説きました。


人は自由になりうるか、どうか、いま、全世界的に、同時的に、その瀬戸際に来てゐます。




posted by koji at 08:13 | 大阪 | Comment(0) | アントロポゾフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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