2021年04月23日
学校もオンライン授業か
中学一年生になつたばかりの次女、果たして来週からの登校事情はどうなるのだらうか。
大阪市からの要請で、午前中は、自宅でオンライン授業になり、昼食は学校に行つて食べ、午後の二時間だけ授業を受け、クラブ活動は原則中止となるかもしれないとのことです。
オンラインによる授業が毎日続くことの、子どもたちへの弊害についてはいろいろと想ふところがあります。
ひとりの先生、そして大勢の友だちが集ふ教室といふ空間において、何が営まれるか。
人は、知性だけを育てればいいのではなく、なまの世界を、他者を、ものを受け取ること、活きた息遣ひのやりとりの中で生きること、つまりは感官を育てるといふことが、人にとつて、とりわけ、若者にとつて、たいせつなことなのです。
笑ひ合つたり、けんかしたり、瞳を交はし合つたり、しかとしたり、そんな人と人との間の複雑な営みすべてが、感官の育みに資するはずです。
人には、十二の感官があります。その十二の感官を養ふことにおいて、空間を共にするといふことの必要性はとても大きい。
感官の働きは十二通りであり、それらの働きが人の内側で複雑に、かつ繊細に、織りなし合はされて、その人にパーソナリティ(人となり)の豊かさ、インディヴィジュアリティー(その人のその人たるところ)の尊さをもたらします。
なぜなら、十二通りの感官の働きを内において、織りなし合はせ、繋ぎ合はせることによつて、人は、判断力を養ふことができ、その判断力は、実は、情の力、感じる働きを土台にしてゐるからです。
ものごとを判断する、その力は、実は、健やかな情の力が礎になるのです。
いくら頭が良くても、健やかな情が育つてゐなければ、その人が下す判断といふ判断は、非人間的なものとなる嫌ひがあります。
毎日、午前中一杯、パソコンやスマホの前に座り続けさせることで、十二の感官の育みに障りと害いと偏りが生じて来ることを思ふと、これが運命とは言へ、子どもたちがこの2020年から2021年を生きること(今年でなんとか終はらせたい・・・!)の過酷さに、その意味を問はずにはゐられません。
家でのなにげない会話ややりとりが、とても大事になつて来ます。
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