いま、花盛りの桜は、多くの人からまなざしを注がれて、喜びの香芬を放つてゐるのが、ありありと感じられますね。
まなざしを注がれる、意を注がれることによつて、桜だけでなく、ものといふもの、人といふ人は、こころと精神が満ち足ります、湧き立ちます、甦ります。
なぜなら、意を注がれるといふことは、愛されるといふことだからです。
「見る」といふ行ひは、「愛でる」から繰りなして来ます。人は、そのものを「め」でようとするから、そのものを「み」ますし、愛してゐないものは、そもそも、見ようとしません。
そして、その「見る」は、なにも、肉の目でもつて見るとは限りません。
たとへ肉の目で見なくても、こころの目、精神の目をもつてまなざしを注ぐほどに、注ぐ〈わたし〉だけでなく、注がれたもの、注がれた人は甦ります。
そして、その甦りは、場の雰囲気を一変させます。和やかで、安らかで、そこはかとなく愛が通ひ出すのが感じられます。
そのことをありありと教へてくれる本を、何十回目でせうか、今また、読んでゐます。
ルドルフ・シュタイナーの『人と世を知るということ テオゾフィー』です。
肉の目に見える世だけでなく、こころの世、精神の世が、いま、ここに、ありありとあるのだといふことを、ありありと想ひ起こさせてくれるだけでなく、ありありと感覚することへと導く本です。
本を読むことで、そのやうなこころから精神へと昇りゆく道筋が、そして、精神からからだへと降りゆく道筋が、少しづつ啓けてくる。
そんな本であることを、今日も、ひしひしと感じながら、ミスタードーナツでたくさんのお母さんと子どもたちに囲まれながら、勉強してゐました。
※ご関心のおありになる方は、どうぞ、鈴木一博訳のものをお手に取つて読んでみて下さい。本は、ことばの使ひ方が、ものを言ひます。https://www.dokkoiii.com/%E6%9B%B8%E7%B1%8D%E8%B3%BC%E5%85%A5%E5%B8%8C%E6%9C%9B/
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